【東海ビアイベント回顧録】それは “異端” か “真っ当” か? 独自の成長を遂げる「第3回 岐阜ビール祭り」
今年も日本各地で数多くのビールのイベントが開催された。
開催から20年を迎えた老舗のビアフェスもあれば、醸造所や店単位の周年イベント、知的好奇心をくすぐる少人数のセミナー、音楽やアートとのコラボレーションなど、ビールに多様性があるように、イベントの中身もユニークで多種多様。
今年1年を振り返って、その中で最も記憶に残るイベント、企画は何だっただろうか?
東海地方在住のビアファンのひとりとして、イベントの多くが終了した年の瀬に改めて、特に印象に残った2つを振り返り、レポートとして紹介したいと思う。
ひとつめは、7月1日(土)~2日(日)に岐阜県で開催された「第3回 岐阜ビール祭り」だ。
目次
たった一人のまっすぐな情熱から生まれた
■2017年7月1日(土)/1日目
朝6時前からスタッフが集まり、設営開始。
明け方まで降り続いた雨が残り、空はどんよりと重たい。
ブースや飲食用のテーブル配置は、イベントの売上げや盛り上がりに関わる。
晴れを信じて屋外に出すか、雨を恐れて軒下に集めるか……。梅雨時期の屋外イベントには避けられない問題だが、実行委員長は幕開けから重大な決断を迫られた。
「岐阜ビール祭り」は実行委員長で発案者、そしてビアジャーナリストアカデミー(以下BJA)5期生でもある森島冬樹氏が、「岐阜の人たちにクラフトビールの魅力を知ってもらいたい」「岐阜県のビール産業と飲食業を盛り上げたい」と思い立ち、2015年に立ち上げたイベントだ。第1回は柳ケ瀬商店街、第2回からはJR岐阜駅前に場所を移し、第3回目となる今年は2日間にわたって開催された。
世間ではクラフトビールブームが続いているが、都市部から絶妙に離れた内陸部の岐阜県では、一部のコアなファンを除いて、クラフトビールの一般的な認知度は高くない。従って、さまざまなビールが一堂に会すような催しもない。およそ20年前の第一次地ビールブーム以降、岐阜県内のビールメーカーは10社から3社にまで減っているという。元来の保守的な県民性もあり、“このまま待つだけでは、岐阜にはビール熱は届かない”と危機感を抱いた森島氏が、「正しい情報と熱意をもって、本当においしいビールを伝えたい」。そう思って動き出した。
食にまつわる多彩な経験に裏打ちされた森島氏の志が実を結び、彼の熱意に多くの仲間とビールメーカー、地元飲食店が賛同して、第3回目の今年も開催が実現した。
昨年は駅前広場という絶好のエリアを確保しながらも、やむなき事情によって人通りの多い駅前広場と駅構内のスペースにブースが分断されていたが、今年は全ブースが駅前広場に設営できたため、会場全体が見渡せて人の流れもずいぶんスムーズに。開始時間前にはコイン引き換えブースに人が並び、スタートと同時に広場に人が流れ出した。
熱心なビール好きのみならず、職場の仲間やカップル、女子会、家族連れ。年齢性別を問わず、さまざまな年代の人たちが集まり、各地のビールと料理を楽しんだ。
料理は地元の人が心底おいしいと思うものだけを
「岐阜ビール祭り」の特徴のひとつとして挙げられるのが、「料理」だ。
このイベントでは、いわゆる岐阜グルメや岐阜の名産・特産品、郷土料理にはこだわらない。
地方の飲食イベントでは、その土地の郷土食や名物料理を集めて観光客の気を引くのが一般的だが、ここでは地元の人が惚れ込んだ、本当においしいものだけを出す。それも森島氏の強いこだわり。とはいっても、地産地消や地元食材にこだわる店が多いので、結果的に「岐阜の味」を堪能することができる。
「岐阜ビール祭りに『B級グルメ』なんてありませんよ。B級なんて呼ばせません。おいしいビールを引き立ててくれる、その店自慢のA級グルメしかありません。地元の僕たちが本当においしいと思う料理を皆さんにも味わってもらいたいからです」
森島氏が胸を張って言うだけあって、料理はどれもお世辞なしにおいしい。
県外から来たブルワーも、「岐阜は料理のレベルが高い。角煮バーガー、スープカレー、赤身牛の炭火焼といろいろ食べたけど、イマイチだったものがない! 岐阜にしかないお店が多いので、これも楽しみに来ています」と、料理のクオリティに太鼓判を押す。
回を重ねるごとに、着実に広がるビールの輪
駅前という好立地のため、通りがかりの人が足をとめ、スタッフに「何のイベントですか?」「どういうシステムですか?」と尋ねる姿をよく目にする。それは去年も同じだが、回を重ねるごとに認知度が上がっているのを実感する。
インスタ映えするグラスや料理をSNSにアップする若い女性や、「孫に教えてもらったの」と、のんびりビールとおつまみを楽しむ老夫婦がいたり、本当に客層が幅広い。筆者は80代にもなろうかという高齢女性に「券(おそらくコイン)はどこで買うんかね?」と聞かれて驚いた。幅広い客層が集まるということは、全世代が利用しやすい環境であるということ。一部のファンだけが満足するのではなく、初めてクラフトビールを味わう人を含めて来場者全員に対して「敷居は低く、みんなに楽しんでもらう」。これを常に意識している。
子供達にはかき氷やジェラート、お団子が人気だ。
ビールメーカーは森島氏が現地に足を運び、オーナーやブルワーに熱意を伝えて直接交渉した結果、出店を決めてくれたブルワリーばかり。何年も時間をかけて懇願したメーカーもある。
晴れると気温はグングン上がり、国内の最高気温ランキング上位に入る岐阜の本領発揮。
去年のように暑すぎるとやがてビールも喉を通らなくなるが、天気の変化が激しいとテント内にいても体力を削がれる。
客席を眺めていて気づいたことがある。
去年はまだ岐阜で馴染みの薄いイベントということもあり、缶ビールやおつまみを持ち込んで宴会場所として利用する人も見かけたが、今年は純粋にイベントで提供されるビールと料理を目的として楽しむ人が増えた。これも張り紙やスタッフが注意喚起を続けた結果だろう。
『BBBB』のパフォーマンスが、その場を一気に「祭り」にする
夕方になると、どこからかともなく威勢のいい金管楽器の音色が鳴り響き、関西発のニューオリンズ・ブラスバンド『BLACK BOTTOM BRASS BAND(ブラック・ボトム・ブラス・バンド)』が登場。
生演奏でしか得られない一体感と、演奏しながら練り歩く “チンドン屋スタイル” に参加者も巻き込まれ、会場は陽気な音楽と笑顔でいっぱいに。童話「ハーメルンの笛吹き男」のように子供がパレードについて回ったり、通行人がパフォーマーにビールを差し入れたり、そんな開放的な空気が場を大いに盛り上げる。
BBBBの生ライブは来場者のみならず、出店者にも好評。
日が暮れると客層も変わるが、客足はそれほど途絶えることなく初日は終了。
大きなトラブルもなく無事初日を走り終え、スタッフも出店者も安堵の表情を浮かべた。
2年目より3年目、初日よりも2日目と、常に進化する
■2017年7月2日(日)/2日目
2日目は朝から気持ちのいい晴天。
気温が上がることを見込んで、噴水を囲むようにレイアウトを変更。
ブースは噴水と座席テントを取り囲むようにセッティングし、初日は別のイベントが開催中で設置できなかった信長像前にも設営。来場者がビールや料理を選びやすいように動線を工夫する。途中で予想外の雨に見舞われたものの、円形配置のブースが功を奏して、来場者は噴水まわりを回遊するようになった。
イベント終盤の午後は、マイクで各店舗のブルワーやスタッフがお店の紹介やおすすめ、あるいは値下げ商品を大々的にPR。これでリアルタイムな情報が伝わりやすくなり、パフォーマンス後のブースには来場者が集った。
1年目より2年目、2年目より3年目、そして初日より2日目。
イベント開催中も改善点があれば臨機応変に対応してブラッシュアップしていく。
「森島君の企画力や行動力には本当に驚かされる。若い人にはどんどんこのような新しいことにチャレンジして、岐阜の産業を引っ張ってもらいたい。そんな若手に私も刺激を受けます」
そう期待を寄せるのは、にごり酒『白川郷』で知られる大垣市の老舗蔵元「三輪酒造」の代表取締役・三輪氏。一時は後継者問題で頭を悩ませた県内の酒蔵も、最近では若い人がUターン就職で地元に戻り、家業を継ぐ人が増えているのだとか。
こうして2日目は変わりやすい天気に気を揉みながらも無事終了。
スタッフはすぐに手分けして片づけと清掃を開始する。
公共性の高い会場は、ゴミはもちろんのこと、床面に残された油などのシミや調理汚れ、搬入車両のタイヤ跡にも厳しい。少しでも痕跡を残すと今後の開催に影響を及ぼす恐れがあるため、掃除は徹底的に行う。全ては次回以降につなげるために必要なことだ。
イベントには名古屋や東京からビアジャーナリスト協会のメンバーも駆け付けた。
「来場者を見ているとビールのビギナーやシニア層が多い印象。細かいマニュアルがないので、スタッフは各自の経験や判断が問われるところですが、他のビールイベントと比べてのんびりしていて、地方ならではのゆったり感があります」と言うのは、立ち上げ当時から同期としてサポートしているBJA5期生の熊澤氏。
ブルワリー統括を担当した山田氏(BJA8期生)は、イベントを振り返ってこう語った。
「開催3年目となり、東海地区のビールファンにとっては馴染みのあるイベントに成長していると実感しています。岐阜ビール祭りの最大の魅力は、なんといっても抜群の利便性。県下最大のJR駅の目の前という立地の良さは、全国的にも自慢できるポイントです。名古屋からも最速20分程度で行けますし、東海地区にありそうでなかった国産クラフトビールを集めたイベントが岐阜で開催されるのは、とても貴重なことだと思います」
「大きなトラブルもなく無事に2日間を終えることができましたが、まだまだスタッフとしての改善点や反省点はあります。来場者、出店者の方々から頂戴したさまざまな意見は、どれも今後の『岐阜ビール祭り』へのご期待と受け止めて、ビールファンのみならず、参加者全員が楽しく交流できるイベントになるように取り組んでいきたいと思います」
今後について、このように語ってくれた。
山田氏の言うように、スタッフや各セクションのリーダーは、来場者の動きや売れ行きを観察して、必要なこと、求められていることを適宜判断して動いている。その一方で、リーダーの森島氏も常に会場内を回り、スタッフや来場者、出店者に話しかけて、トラブルやビールの売れ行きなどを気にかける。
そしてときにはテーブルを囲み、来場者と一緒に盛り上がる。こうして森島氏から直接おすすめのビールや料理、あるいは岐阜やブルワリーへの思い入れ、将来のビジョンを聞くことで、来場者は想いを共有し、場の一員としてより身近な感覚でイベントを楽しめるようになる。
自らもプレイヤーとして動き回るリーダーに、眉をひそめる人もいるかもしれない。
司令塔はなるべく動かず、チームを動かすディレクターに徹すべき、そんな見方もあるだろう。スタッフの意欲向上や定着性も考えて、決めた役割に従って指揮を執った方が、効率的で統率のとれた組織になるという意見も理に適ったものだ。
しかし、彼は統率のとれた組織よりも「自由意志に基づいたコミュニケーション」を重視する。
他の評価に惑わされず、自分の実感を大切にする。もちろん大まかな役割はあるが、基本的にスタッフは休憩も自由にとれるし、行動を制限されるような細かいルールはない。比較的大らかだ。この2日間に限らず、森島氏と話して感じたことだが、彼はスタッフも含めた参加者全員を「もてなしたい」のかもしれない。もてなす相手は来場者だけではなく、スタッフやブルワー、このイベントにかかわる全ての人が対象だ。誰よりも、スタッフや出店者に、このひとときを楽しんでもらいたいという思いを感じる。
他の誰よりも、スタッフが楽しめることが大事
「僕は、ボランティアスタッフに一番楽しんでもらいたいんですよ」
彼の思いは実にシンプルでストレート。
確かに開催中は、ここのスタッフは自らも大いにイベントを楽しんでいる。
スタッフ経験は多いがこのイベントを手伝うのは初めてという、とあるボランティアスタッフは「お客さんもスタッフものんびりしていますね。他と比べて変にピリピリしたところもなく、和やかなのがいいです」と言う。
「このイベントを手伝ってくれた人たちに、一番に楽しんでもらいたい。たとえ僕がそれで第三者に怒られるようなことがあっても、それを大事にしたいんです」
「もちろんイベントを継続して開催するためには、スタッフの獲得は重要課題になります。慣れや飽きがきて、次回はお客さんとしての参加を選ばれるかもしれない。だから、働いてもらう環境として、必要以上に緊張感のある現場ではなく、スタッフ自身も楽しめるようなフラットな場にしたい」
そう語る森島氏。
地域ごとに大小さまざまなビアフェスがあるが、彼には「自分が主催するビアフェスはこうありたい」という明確なビジョンがある。 理想形に近づけるために他のイベントから学べることは取り入れつつも、自分の目で見て、肌で感じた実感を大切にするスタイルを崩すことはないだろう。想いをまっすぐにぶつけて行動に移す。シンプルでストレートな彼の周りには自然と仲間が集まってくる。
今回参加したスタッフに対しての思いを聞くと、
「本当にありがとうございました! 思いっきり楽しんでもらえましたか? しつこいですが、僕は皆さんを一番大切に思っています。また来年もスタッフとして、僕と一緒に乾杯してください。よろしくお願いします!」
と、感謝の言葉を述べた。
自分の信じる道を突き進む彼をサポートするのは、信頼の置ける家族と地元や仕事、趣味を通じてつながった大勢の仲間たち。数多くのサポーターのおかげでこのイベントが成り立っている。
大変なのは継続。リピートへのプレッシャーは大きい
今の時代、アルコールイベントを開催することは簡単なことではない。
それを資本力のある民間企業や行政の後ろ盾もなく、個人でゼロから始めたのだ。さらにJRの駅前という公共性の高い場所で行うハードルの高さも加わる。
それらすべてを乗り越えて、3年目を迎えた「岐阜ビール祭り」
3年継続したからといって、4年目が当たり前に迎えられる保証はどこにもない。森島氏自身、ときには強烈なプレッシャーで押し潰されそうになりながらも、信念を胸に抱いて突き進む。
「今後はボトルの販売や量り売り、あらゆる方法でクラフトビールを楽しんでもらえるようにしていきたい。一年目からアプローチしながらも、なかなか実現できずにいる岐阜の工芸品ブースを作りたいという構想もあります。岐阜提灯、和傘、うちわ、美濃和紙、刃物など、岐阜には優れた伝統工芸品がたくさんあるんです。県内の文化に触れて、良さを知ってもらえたら」
将来の構想は尽きることがない。
継続はもちろん、中身の充実とパワーアップを目指す。
完全に脱線するが、自分のパートナーがこれだけ破天荒だと、支える家族の負担や心労も相当なものだろうと、差し出がましいことと承知しながら少々心配になる。実際に開催中は、ご夫人やお子様を含めた家族総出で朝早からイベントをサポートしていた。彼を信じて寄り添う家族に対して、森島氏は感謝の思いを述べるともに、次のメッセージを贈った。
「妻へ。心から愛しています。いつもありがとう。これからもよろしくお願いします。そして子供たちへ。いつも応援してくれてありがとう。パパの姿をみて、友達と一緒にいろんな楽しいことに挑戦してほしいな」
「岐阜ビール祭り」はまさに育ち盛り。
課題もあるが、地元からは待ち望む声が圧倒的だ。
全国で数多くのビールイベントが開催される中で、他のイベントに埋もれない “岐阜ビール祭りらしさ” とは何なのか。多くの人に愛される岐阜発のビールイベントとしての独自性、アイデンティティを見失わずに続けてもらいたい。それには継続することが何よりも大事だが、同時に何よりも難しいことだとも思う。次の「第4回 岐阜ビール祭り」は、2018年6月2日(土)~3日(日)、同じくJR岐阜駅前で予定されている。
ビアファンの皆さまには、試行錯誤を重ねながら毎年進化するこのイベントを、どうかあたたかい目で見守ってもらいたい。そして、できれば実際に参加して、その空気感を肌で感じてもらえたらと思う。
日本の真ん中に位置する岐阜県で、たった一人の熱意から生まれたイベントのお話。
※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。