日本のクラフトビールを振り返る サンクトガーレン岩本社長に話を聞いてきた!
国税庁の調べでは、日本には180の醸造所がある(2015年度 国税庁課税部酒税課調べ)。ここ数年は、クラフトビール人気が高まり、醸造所やファンも増えている。それと同時に辿ってきた歴史を知らない人も増えてきた。筆者も10年前くらいのファンであり、改めてその歴史を知りたく「サンクトガーレン」岩本伸久社長にお話を伺いに行ってきた。
「第1次地ビールブーム」より環境が良くなった
「まず、飲めるところが増えましたね。今から約10年前は、私が記憶しているのは数店だけです。最初のブーム(1997年~2000年頃まで)と比較すれば状況は良くなっていると思いますよ。若い年代が飲むようになり、また飲まれやすい価格になりました」と話す。
では、最初のときはどうだったのか。「ブームと気づきませんでした。あまり感じなかった。周りに聞くと『何もしなくても売れる』と言っていたり、業者からも『いつできる?』と言われていたりしましたけど」と意外にも実感がなかったという。
最初のブームでは、併設のレストランで飲み、物珍しさからお土産に買って帰るという形が主流であった。現在では都内を中心に専門店が増え、地方でも増加傾向にあり身近になってきている。またネットショップも充実し、様々なビールを取り寄せることができるようになった。
造り手も飲み手も未熟だった日本のビールシーン
2000年以降は人気に陰りがみえ売れ行きが下がり、最大264あった醸造所は2013年には179まで減ってしまう。「サンクトガーレン」も苦しい状況だったという。なぜ、ブームは終わってしまったのか。
「多くが手本としたのがドイツでした。彼らは大手ビール会社と同じものを地元で売る考えでした。飲み手側にはそれが新鮮に写っていただけだと思います」。当時は海外からブルワーを招聘し、醸造技術を学ぶ醸造所が多かった。しかし、短期間であったため十分なレベルに至らず、品質を保てなかったという。
「飲み手にも大手ビールのイメージしかありませんでした」とピルスナー以外を知らず、受け入れられない時代だった。「クセがあると言われましたね。しかし、私は知らないだけだと思っていました。そこで、自分たちが造るビールは新しいものと伝えるようにしました。新しいお客様に広げていく必要があると思い、やってきました」と話す。
しかし、「なかなか日本にビールは根付かないですね。難しいです」とも語る。
「自分が素敵にみえる」飲み方を提供する
「今でも傾向はありますが、数少ない専門店では限定ビール競争みたいになっていました。そこで競っても会社の力はつかないと考え、新しい領域に販路を見出すことにしました」とフードイベントへの出店や専門店以外で販売をして認知度を着実に高め、新規顧客の獲得に力を入れた。
「クラフトビールってちょっと値段が高いですよね。誰が飲むといったら『格好良く飲みたい』人たちだと思います。『自分が素敵にみえる』という販売の仕方でないといけないと考えています。居酒屋にあったら素晴らしいと思いますけどね」とブルーオーシャンを常に探し、開拓している。
他業種と連携したビールも発売している。新たなファンを作りだす姿勢が強みとなり、苦しい時代を乗り越えてきた。
情熱をもって造る
ここ数年は、ブルワー志望の問い合わせも多いという。しかしブルワーになることが目的になっていて、ブルワーになって何がしたいのかが見えてこない、と話す。
「最近の志望者を見ていると『言われた通りにやっただけ』と感じることが多いです。簡単に考えているところがあると感じますね。造るだけなら誰でもできます。しかし、商品レベルにするならもっと勉強しないといけないと思います。ここに来る人でいえば、熱意を感じないことがあります。責任感を強くもってほしいです。『サンクトガーレンで何がしたいのか?』と聞いても漠然とした答えしかもっていない人が大半。何でビールを造りたいのか。どんなことをしたいのかをしっかりもってほしい。あとは面倒くさがらないこと。誇りを持つことですね」と語る。
今後も醸造所の数が増えれば、競合相手が多くなる。味はもちろんだが、飲み手に明確なメッセージを伝えることが重要になってくるのではないか。
「ブルワーの育成ですか? 育成機関があれば良いという話もあります。確かにあるにこしたことはないと思います。しかし、簡単ではないと思います」という。
岩本氏はどのように学んだのか。「私の場合はアメリカで学んで、帰国後も電話やFAXで連絡を取り、本を読み勉強しました。休みの日は、他のビールを飲み行って勉強もしました。私自身はすごく心配で仕方ないのです。自分のビールが美味しくないと言われたら嫌ですから」と日本にエールビールを広め、美味しいビールを飲んでほしい強い思いから時間を惜しまず費やした。
「それでもやりたい人は残っていくと思います。そういう人は必ずいると思います。それと、私を越えてほしいです。超えてくれないと業界の底上げにならないですから」とも話す。
不明瞭な日本のクラフトビール
よく議論にあがるクラフトビールの「定義」についても訊ねてみた。
「もともと定義は無くても良いと思っていました。でも最近、あったほうが良いかもと思う場面もあります。例えば、当社はAmazonで販売していますが、クラフトビールの売れ筋ランキングには海外大手メーカーが出てきます。量販店のクラフトビールコーナ―の半分以上が海外大手メーカーのビールで埋められていたこともあります。個人的な意見ですが、これだと仕事がやりにくくなりますし、これらがクラフトビールとして飲まれていると思うと複雑な心境です。定義は必要ないとの考えもありますが、今の状況では日本独自の定義は必要だと思います」と造り手として量産されるビールとの区別は必要という。
以前は「地ビール」が一般的に使われていたが、どう思っているのか。「嫌いではありませんが、誤解を受けやすいネーミングだと思います。当社は厚木市に拠点を置いていますが、この土地のビールというコンセプトではありません。『その土地のビール』というイメージになりやすいので、違うと感じます。『何をつくっているの?』と聞かれたらマイクロブルーとか岩本のビールと答えています」と語る。
「ラーメンと違って、ビールはまだまだ市民権を得ていないので、趣向品としての幅も広くないのでしょうね」と認知度を高めていく必要があると説く。
話を聞き、広がるには様々な課題があり、造り手だけではなく伝え手の役割もとても重要であると考えさせられた。情熱をもったブルワリーのビールが、日本のビール文化を広げ、根付かせていくことになる。そして、我々伝え手も熱意をもち、明確に伝えていく責任を改めて感じた。
パイオニアとして業界を牽引してきた岩本社長。伝える側としてもとても貴重な経験となりました。この場をお借りして深く感謝申し上げます。
◆サンクトガーレン有限会社 Data
住所:〒243-0807 神奈川県厚木市金田1137-1
TEL:046-224-2317
FAX:046-244-5757
E-mail:info@SanktGallenBrewery.com
◆岩本伸久氏 プロフィール
1962年9月生まれ。大学卒業後、父の会社「株式会社永興」で飲茶店の業務に携わる。1993年、飲茶店のサンフランシスコ出店の折、現地のクラフトビールに父子でほれ込み、アメリカでビール造りを開始。翌年、醸造免許のいらないノンアルコールビールを六本木の店舗で製造、販売。1997年より神奈川県厚木市に工場設立。2002年にサンクトガーレン有限会社を設立。社員1名=自分1人でのスタート。2009年、同市内に新工場完成。現在は4名のスタッフで稼働中。
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