【静岡】生涯をビール醸造に賭して20年余り。時流に乗り、たおやかに生きる醸造家・丹羽智 氏がたどり着いた「West Coast Brewing」
「ビールって本当におもしろくてね。終わりがないんですよ(笑)」
20年以上に渡って現役の醸造家を続ける理由について、とびきりシンプルな言葉で語ってくれたのが、現在は「West Coast Brewing」の工場長を務める丹羽智氏。ビールとつくり手に少しでも興味を抱く人であれば、知らないはずがないベテランブルワーだ。
2018年12月、丹羽氏は7年間ヘッドブルワーを務めた山梨県甲府市の「Outsider Brewing」を離れ、2019年春から用宗にできたWest Coast Brewingでビールづくりを始めた。
用宗といえば、駿河名物のしらす漁で有名な用宗漁港のあるのどかな港町。
その用宗漁港に、2018年オープンした日帰り温泉施設「用宗みなと温泉」内にあるブルーパブが「West Coast Brewing」(以下「WCB」)だ。JR用宗駅から10分程度歩くと、マグロの加工施設をリノベーションしたモダンな建物が目を引く。
その用宗みなと温泉の建築設計を手がけた建築家であり、静岡市内でシアトルビールを扱うビアバー「12-twelve」(トゥウェルブ)を経営する飲食店オーナーでもある、シアトル出身のDerrek Buston氏の誘いを受け、WCBの醸造責任者に着任した丹羽氏。
ビール醸造のキャリアは20年以上。
黎明期から日本のビール史とともに歩み、変化する時流の中を現場の最前線で生き抜いてきた醸造家・丹羽智氏に、静岡への転機を迎えたきっかけや醸造家としての心持ちを伺った。
環境を変えるたびにブルワーの技量が上がる
ーー まず、WCBがオープンに至るまでの流れを教えてください。
「昔からクラフトビールに慣れ親しんでいたオーナーのデレックが、2017年に静岡市内で『12』をオープンしました。『12』はアメリカ西海岸を中心としたブルワリーのIPA専門店ですが、それから自社醸造への思いを強くしたようで、用宗みなと温泉の施設設計を担当したのもきっかけになって温泉施設内にWCBができることになりました」
丹羽氏がOutsiderからWCBに移るという話が表面化したとき、静岡のビール界がにわかに沸き立った。県内のブルーパブが激増した2017年~2018年。ルーキーのどこもが創造的で、個性を際立たせたビールをリリースすることから、県外のビアファンからも注目を浴びていたところに飛び込んできたビッグニュースだ。「これは静岡がもっと面白くなるぞ」という、どこかそわそわするような期待感に胸が躍った。
ーー 早い段階で静岡に行くことが決まっていたのでしょうか?
つまり、WCBへの着任がきっかけでOutsider Brewingを離れる流れに?
「WCBの件は2018年に自社醸造を始める構想段階になって相談を受けましたが、その前から離れるタイミングを感じていました。Outsider Brewingには7年もいましたからね。小林(※)という安心して醸造を任せられる若手ブルワーも育って、そろそろ代替わりをしてもいい時期じゃないか、という気持ちがずっと心中にあったんです」※小林桃子=現Outsider Brewingのブルーマスター
岐阜県中津川出身の丹羽氏は、石材加工・輸入メーカーとして働いていた岐阜の博石館ブルワリー(醸造は終了)が1997年に醸造を始めてから13年、次に岩手のいわて蔵ビールで約2年、そして2012年開業の山梨のOutsider Brewingでは、都市型小規模醸造システムの立ち上げから7年間ブルーマスターとして務め上げた。
Outsider Brewing時代には、現役の醸造家がジャッジする審査会「JAPAN BREWERS CUP」での受賞や「Beer-1グランプリ」で3連覇を成し遂げるなど、またたく間に同醸造所を全国有数のトップブルワリーに育て上げたことでも知られている。
ーー (WCBの話を受ける前は)退職後の具体的なプランがあったのでしょうか?
「特に退職後の道については決めてなかったですね。いずれ地元の岐阜に戻りたいという気持ちもありましたけど、ちょうどそのタイミングでWCBの話が飛び込んできたので。静岡では何度かウイスキー(静岡クラフトビール&ウイスキーフェア)や清水(静岡地ビール祭り)などのイベントに出店して、デレックとはそのときに出会って面識はありました」
ーー とはいえ、慣れた醸造環境を変えるのは勇気のいることだと思います。決断した一番の理由を教えてください。
「一番は自分のスキルアップですね。ブルワーは同じ場所にずっと留まるよりも、いろんな場所を経験した方がブルーイング技術は上がるんですよ。醸造所が変われば、醸造設備も仕込み水も、扱う材料も気候も違いますから。ゼロから立ち上げて、まったく新しい設備環境でビールをつくったり、新しいスタイルにチャレンジしたりすることで、ブルワーの技量はどんどん上がる。キャリアを通して目に見えて技量が上がるのを私自身が経験しましたから。私も60を過ぎてだいぶ年を重ねていますが、あと1か所ぐらい大きく環境を変えてスキルアップしたいと思ったんです」
ーー こうしてWCBも立ち上げから関わることになったと。
「そうですね、図面を見ながら設備導入から配管、電気関係もトータルで関わっていますね。設備関係の施工業者さんはビールの醸造設備を扱うのは初めてだったので、配管や制御盤への電気配線のアドバイスも含めて携わりました。醸造ユニットを設置する床面の素材とかね。でもタップルームの壁の色や照明の色を合わせるとか、設備自体へのこだわりは設計士のデレックの方が強かったかもしれない(笑)。WCBの母体がデザイン会社なので、タップルームや醸造設備を美しく見せるトータルデザインにはこだわっていますね」
ーー 醸造設備はマニュアルユニットを選ばれています。
「最初はデータやレシピをプログラミングするオートメーションシステムを入れようかという話もありましたが、オートマチックは設備導入に時間がかかるし費用も高額になるので、最終的にはマニュアルにしました」
ーー このマニュアル設備に長年培ってきた経験が活かされるのですね。
「オートメーションの制御システムだと、バルブは開けるか閉じるか、時間単位の設定しかできませんでが、アナログであれば半開きやコンマ以下のタイミングなど、微妙な開閉具合が調節できます。そういった『さじ加減』はプログラムでは難しい。アナログに慣れ親しんできたこともあるし、そういったところにもクラフトビールの面白さがあると思うので、私はマニュアルが楽しいですね」
アメリカから輸入した醸造設備は自らリフトを操作してトレーラーからおろして設置。
醸造だけではなく、設備メンテナンスやシステム作りまで手掛けるシステムエンジニアとしての顔ももつ丹羽氏の知見も手伝い、2019年6月10日、大きな設備トラブルもなくWCBの自社醸造がスタートした。
ーー 温泉併設という立地についてはどう思いますか?
「温泉とビール、どちらも楽しめるのはとても良いと思います。遠方からビールを目当てに来てくださる方もたくさんいますが、温泉に入ってタップルームに寄る方も増えましたね。飲み慣れた大手メーカーのビールとは違うホップの豊かな香りやユニークな味わいを気に入ってくださって、毎日のように通う地元の方が増えたのがうれしいですね」
プロだから「なんでもつくれる」
ーー WCBでつくるビールについてはどのような話をしましたか?
「オーナーのデレックからは『アメリカンスタイルのホッピーなビールがつくりたい』というリクエストを聞いていました」
ーー それについて、丹羽さん自身の希望は?
「特にスタイルへの希望はなかったですね。イングリッシュからベルジャン、アメリカンとなんでもつくってきましたし、どんなスタイルもできるので。今はIPAやヘイジーなペールエールが多いですが、新しいスタイルやユニークなレシピもチャレンジしていきたいし、いずれ自然発酵もやっていきたい。『カテゴリーの広さ』を持ち続けたいんですよね」
オールドスタイルから先進的なアプローチまで、オーダーとあれば「カテゴリーを問わない」柔軟性の高さこそ、丹羽氏が長年の経験から培ってきた圧倒的なアドバンテージだ。
ーー 先に「環境を変えると技量が上がる」と仰いましたが、丹羽さん自身はどのようなときにスキルアップを実感しましたか?
「時間にしてだいたい10年ですね。仕上がりをイメージしてから、『それなら使うホップはこれで、モルトはコレとコレをこれぐらいの量で使おう』という具体的なレシピが組めるようになって、できあがった味も大きく的を外さなくなる。狙ったスタイルでイメージ通りの味わいができるようになるまでに10年以上はかかりましたね。数をこなして、新しい素材にチャレンジするたびに引き出しが増えていくので。さまざまな仕込みを経験するうちに、徐々にイメージのブレが少なくなっていきます」
ーー その中で、丹羽さんが難しいと感じたスタイルや素材は何でしょう?
「フルーツですねぇ。山梨にいたときは、梨、梅、桃、りんごにブドウも何種類も経験しましたが、フルーツ本来の香りを引き出しながら、麦芽や酵母との相性でバランスをとることに毎回苦労します。色をきれいに表現するのもなかなか難しい。これはやってみないとわからないところも多いんです。最も苦労したのがマスカット・ベリーA(赤ワインに使うぶどうの品種)、色や香りをきれいにビールに乗せるのが大変でしたね。香りが穏やかな梨も難易度が高い。難しい反面、勉強になりました」
副原料としてフルーツを使う難しさとともに、20年前当時の国内では誰もつくったことがなかった博石館ビール時代の「バーレイワイン」や、自分で大気中の野生酵母を採取して取り込んだ「自然発酵」の苦労も挙げてくれた。その道を導く先人がいない、誰にも教わることができないエキサイティングな挑戦と好奇心、数多くの失敗を繰り返したことが、醸造家としての引き出しの多さにつながっている。
「ーー それと『だし』を使ったのも難しかったですね。和食に合うビールというコンセプトでシイタケや鰹節、ホンビノス貝を仕込みに使いましたが、だしとのバランスをどうとったらいいのか最初は見当もつかなくて(笑)。だし感が強すぎてもアンバランスになるし、ホップの香りとの調和をどうするかが本当に悩ましかった……」
最終的にはシイタケの香りとうま味成分を明確に感じられるペールエールができたとか。前例や正解のないものに対してアプローチを続けていく探求心も、職人としての対応力の底上げになっている。数えると枚挙に暇がない経験値の多さだ。
生涯現役のビール職人として生き様
ーー 20年以上も現場で活躍されていますが、ご自分の醸造所をもちたいと思ったことは?
「もっと若くて資金に余裕があればそんなことも考えたかもしれないですけど(笑)。自分で経営するとなると、マネジメントも全部自分でしなきゃいけないでしょ。なるべく醸造以外のことに時間をとられたくなかった。醸造に集中できる職人でいたかったんですよね」
ーー 不躾な質問ですが、ビールづくりに飽きることはないのでしょうか?
「ビールづくりは飽きないでしょうね。ビールってものすごく奥が深いし世界が広い。ヘイジーだったりBRUTだったり、他のお酒と違って毎年毎年新しいカテゴリーやスタイルが生まれるでしょ? そうすると自分もやってみたくなる。新しいホップや酵母が出てきたり、使ったことのないフルーツと出合ったりすると、試してみたくなるんですよね。あるいは、そんな新しいカテゴリーになるようなビールを自分で生み出してみたいとも思いますし。ビールづくりには終わりがないんですよ(笑)」
丹羽氏の口から流れる言葉はとても明瞭でわかりやすく、シンプルだからこそストンと腑に落ちる。
「簡単にできないもの、難しいものをやってみたいですよね」
心から楽しそうに、そう笑顔で話してくれた丹羽氏。
ビールづくりが楽しくて仕方ない、そんな混じりけのない純粋な気持ちが、ビシビシと伝わってくる。
「難しい方がやりがいもあるじゃないですか。
完成したときの充実感も格別ですよ」
そのモチベーションを20年以上も持ち続けられるのは並大抵のことではないはずなのに、還暦を過ぎても満足することなくアップデートを重ねるようとする姿勢に触れ、深々とした思いになる。それと同時に「丹羽智」という醸造家のファンとして、まだまだ終わりのないビールの旅を追い続けたい気持ちを新たにする。
生涯をビールに捧げた或る醸造家が、心から楽しんでつくるビール。
黄金色の液体に年月を重ねてきた円熟味が溶け込み、用宗で心を揺さぶる1杯が生まれる。
今後の目標について尋ねると、実に丹羽氏らしい答えが返ってきた。
「日々ビールをつくること、それだけですね」
【関連記事】
「山梨・甲府:“Outsider Brewery”の始まり – 01」
「山梨・甲府:“Outsider Brewery”の始まり – 02」
【ブルワリー概要】
West Coast Brewing(WCB)
住所:静岡県静岡市駿河区用宗2丁目18-1 (用宗みなと温泉隣)
電話:054-204-1744
アクセス:JR東海道線「用宗」駅より徒歩12分
タップルーム営業時間:平日11:00~18:00、土日祝11:00~20:00
定休日:月曜日
公式HP:https://www.westcoastbrewing.jp/
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