[コラム,新商品情報]2021.3.23

月とビール 〜新月仕込みのビール「月の糸」によせて〜

「う、さむっ」
 冬の間、ちょっと買いすぎたビールを私はベランダに置いておく。2月のある日、夕ご飯を準備して「さぁて、何を飲もうかな」と、今夜飲むビールを取りに出た。長袖のTシャツとスウェットの服装には、夜のベランダの空気は冷たくて、思わず身がキュッと引き締まる。

 部屋の明かりが少し漏れる程度の薄暗い中、クーラーボックスに手を伸ばした瞬間、あっ、と驚いた。私の手に、ほんのかすかに青白い光が差していた。それはカーテン越しの部屋の明かりでもなく、ベランダから見える街の明かりでもない。

見上げると、そこに丸い月が浮かんでいた。

 月が好きだ。それはいつからだろう。

 私には少し年の離れた姉がいる。小さな頃から近所中の子供たちを引き連れてガキ大将よろしく暴れまわっていた姉の姿は、いつも太陽のように眩しくて、小さな私は何をしても敵わなかった。どこにいっても彼女の話がつきまとう世界に、私はいつしか背を向け、月になりたいと思った。

 高校生の時、気になっていた男子と初めて一緒に下校した。たわいのない話をしながら、ただひたすら歩くまっすぐな田舎道。気づくとあたりは透き通るような青白い光に包まれていて、足元に二人の影が驚くほどくっきりと見えていた。しんとした静寂の中、並んで揺れる影は永遠に続くような気がした。

 暖かい部屋に戻り、ビールの栓を抜く。グラスに注ぐと、ふくよかな麦芽の香りと若草のようなホップの香りが鼻をくすぐる。

 ヴィオディナミと呼ばれるワインがある。これは、哲学者ルドルフ・シュタイナーが唱えた人智学の中で提唱された循環型農業をワイン造りに応用したものだ。宇宙エネルギーと動植物の生命との関わりを重視して、人的、化学的介助をなるべく減らし、健康な土壌で月の満ち欠けや潮の満ち引きのカレンダーに合わせて原料のブドウを生育する。そして、そのブドウの健やかな力を生かしてワインを造る。

 ビールといえばまず浮かぶのは大手ビールのものだが、最近よく見かけるクラフトビールは、小規模醸造のブルワリーによるものがほとんどで、今や日本国内で500か所(※)に迫る勢いで増えている。原料はほとんど輸入に頼っているけれど、それぞれがより個性のあるビールを造りたいと、例えば、原料のホップを自家栽培したり、地域で生産する大麦を原料に使い、出来上がったビールは地元で消費するといったような地域循環型のビール造りを実践している話も聞く。さらに、酵母も自家培養して、より“他にはない”ビールを生み出すブルワリーも増えてきている。

 ワインのように、月の満ち欠けに沿って造るビールはあるのだろうか。調べてみると、新月から仕込む「あかあかや月」というビールが造られたことを知った。

 あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月

 鎌倉時代前期の華厳宗の僧である明恵上人が詠んだこの和歌は、時を越え、月の美しさにただひたすら感動する気持ちが見事に伝わってくる。その和歌から名付けたビールは、秋田の田沢湖の湖畔にあるブルワリー「湖畔の杜ビール」で造られていた。

 1998年のスタートからビール造りを担当するブルワーの関口久美子さんは、開業当初、深夜まで作業が及ぶことも多く、そんなある日、ようやく仕事を終えてブルワリーの外に出ると、目の前に広がる湖の上に、驚くほど明るい月と、それに続く月の道が輝いていた。

湖畔の杜ビール ブルワー 関口久美子さん撮影


「息を呑んでしばらく立ち尽くしていました。身体は動かないのに、心だけが月に吸い込まれていくような、不思議な感覚に包まれたのを鮮明に覚えています」と関口さん。その時の衝撃的な体験から、いつかあの月の満ち欠けに合わせて仕込むビールを造りたい、と思い続けていたという。

 農作物が原料のビールもやはり自然の力が醸造に影響する。同じ原料でも気候などの影響でコンディションが変わる原料や酵母の具合を見つつ、より理想のビールへと仕上げていく。小さな醸造所では限られたタンクをより効率的に使い回さなくてはならず、タンクが空き次第すぐに次を仕込むのが常となる。「そんな中、新月に全ての準備を整えて醸造をスタートさせるというのはなかなか難しくて、10年ほど経ってからようやく実現することができました」

「あかあかや月」のビールは、クラウドファンディングで資金を募集し、2018年3月に支援の皆様をブルワリーに招いて、出来上がったビールのお披露目会を開いた。参加者には、新月から満月を経て出来上がるまでのおよそ1ヶ月の醸造の毎日を、日記として綴った冊子を配布した。それは単なる日誌ではなく、ブルワーの想いを日々綴ったものとなっていて、そんな想いものせたできたてのビールの味わいに、参加した皆様はとても感動し、涙する人もいた。

 通常のビールとはどう違ったのか、を尋ねてみた。
「残念ながら明確な数値の違いを示すことはできません。もちろん様々検査はしますが、私は、通常の検査項目とはまた違うところで影響が出ていたのでは、と思っています。でも、作業の途中、主発酵の段階でいつもタンクから酵母の音を聞いて確認をするのですが、いつもよりパチパチと元気よく弾ける音がして、これはいいビールになるぞ、と確信しました。そして、出来上がったビールは、いつも以上に麦芽の香りが華やかに立ちのぼるのを感じました」

 私はこれまで何人かのブルワーから「ビールは、酵母がおいしく造ってくれるもので、自分は酵母が少しでもいい環境で働いてくれるかを手伝っているだけだ」と話すのを聞いたことがある。この「あかあかや月」のビールは、月齢のリズムに合わせて仕込むことで、酵母が生き生きと“健やか”に働いてくれたということなのだろう。

 健やかでいること。その大切さは、まさに今、蔓延するコロナの脅威で、地球上の人たちがいやというほど思い知らされている。それは、自分だけが健康であれば良いのではない。家族が、多くの仲間が、世界中の人が健康であることがとても大切で、それを目指すために、英知を結集し、たくさんの我慢をして、みんなが努力を重ねている。でも、その実現にはまだ長い時間がかかりそうだ。

 おそらくこれは、人間だけが健康でありさえすれば良いのではないのかもしれない。地球に生きるすべてが健やかになるべきで、それは、地球そのものが “健康” でなければ、という思いを強くしている。そのためには、時間はかかるかもしれないが、地球がもともと営んでいた自然のリズムに沿うことで、整い、治っていくのではないだろうか。

 話を聞けば聞くほど、このビールが飲めなかったことが残念でたまらず、その思いを伝えると、実はその後、あまり告知はしていなかったが、毎年冬の時期に1回だけこの仕込みを続けていると教えてくれた。そして、まもなく今年も出来上がるという。

 なんと不思議なことに、私の前に月の道が繋がっていた。

(※)日本ビアジャーナリスト協会調べ

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 あることがきっかけで、「月とビール」をテーマに文章を書いてみました。そこで色々と調べていて初めて知ったのが、「あかあかや月」というビールの存在でした。しかし、それは3年前に造られた限定ビールで、今は手に入らない。どんな風に造られて、どんな味わいだったのか。矢も盾もたまらず、湖畔の杜ビールのブルワーの関口さんに電話をしてみると、急な連絡にもかかわらず快く対応くださり、改めて時間をとってお話を聞かせていただきました。

 その話の途中まで全く知らなかったのですが、実は今年ちょうど新月仕込みのビールを造っていて、第二弾としてリリースされること、そしてそれがその電話をした時から間もなくであったことに、その偶然に本当に驚きました。関口さんも私の突然の連絡に驚いていたのかもしれません。

 話を伺う中でとても気になったのは、一体どんな味がするのだろう、ということ。それを聞いてみると、関口さんは「それはその人その人が感じることだと思います」とおっしゃいました。例えば、絵画を鑑賞した時、それを見た人たちが各々の経験や想いを重ねながら感じ入るように、それぞれの人が感じる味わいがあるのだろう、と。

 2021年3月、その新月仕込みのビールは、あかあかや月第二章「新月仕込み 月の糸 紡ぐ月の道」として、ラガーとデュンケルが限定発売されました。

 届いたデュンケルをグラスに注ぎ、グラスに鼻を近づけます。モルトの柔らかいふくよかさが鼻をくすぐり、待ちきれない気持ちで、早速ひと口。その味わいを一言で言えば「ああ… 優しい」。ロースト麦芽の香ばしさ、そして、ふわりとした甘さが口の中に広がり、素直に、柔らかく喉に消え入っていきます。それは、あの月のように、気がつくと静かにその光に包まれていて、もしかして、と見上げると夜空で優しく微笑んでいるような…。私の中で、どこか焦りのある心のトゲが、ゆっくりと和らぎ消えていくような、安らぎの味でした。

 これを読んでくださったあなたは、このビールをどんな風に感じるのでしょうか。その味わいを、丹精込めて仕込んだ関口さんに伝えていただけたら、とてもうれしいです。

湖畔の杜ビール https://www.orae.net

あかあかや月月の糸湖畔の杜ビール

※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。

(一社)日本ビアジャーナリスト協会 発信メディア一覧

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この記事を書いたひと

宮原 佐研子

ビアジャーナリスト/ライター

ビアLover 宮原佐研子です。 ビールの大好きなトコロは、がぶがぶ飲める、喉ごし最高、大人の苦味、世界中でも昼間でも飲める、 果てしなくいろんな味わいがある、そしてぷはぁ〜っとなれる、コトです。
ライターとして、雑誌『ビール王国』(ワイン王国)/『じゃらん酒旅BOOK 2024』(リクルート)/『うまいビールの教科書』(宝島社)/『クラフトビールの図鑑』(マイナビ)、ぐるなびグルメサイト ippin キュレーター など

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