クラフトビールの定義とは?醸造規模の大小ではない。
クラフトビールの定義とは? 醸造規模の大小ではない。
「知識と技術」+「発想と創造性」が重要である。
目次
美味しいか不味いか? それが問題だ。
私は、サントリーのWORLD CRAFT<無濾過>ホワイトビールを飲み、クラフトビールの定義を「小規模な醸造所が造るビール」と限定する時代ではなくなったと感じた。
どんな規模の醸造所が造ろうと、美味しいビールは美味しいし、不味いビールは不味い。ということだ。胃袋も肝臓もひとつしかないし、飲み干すことのできるビールには限りがある。
美味しいビールを拒絶することも不味いビールを無理して飲むことも、人生における大きな損失に他ならない。
クラフトビールの定義を「小規模な醸造所が造るビール」とすることは、木を見て森を見ずとしか言いようがない。
小規模醸ならばすべてクラフトビールなのか?
確かに、クラフトビールは小規模な醸造所で造られることが多い。
しかし、小さな醸造所の造るビールをすべて「クラフトビール」と呼ぶことができるのだろうか? また、大手ビールメーカーが造るビールがすべて「クラフトビールではない」と言い切れるのか?
答えはどちらもNOである。
最近、日本国中に小規模な醸造所が次々とオープンしている。
それはそれで喜ばしいことではある。
しかし、小規模であることだけで「クラフトビール」と言えるのだろうか?
残念ながら、なかには「クラフトビール」と呼ぶに値しないものもいくつか見受ける。
クラフトとはなにか?
クラフトという言葉は、日本で工芸的と訳されている。
例えば、”クラフト家具”の椅子という言葉を聞けば、大手メーカーの工業的なパイプ椅子(それを否定するものではない)とは違うものを想像するに違いない。
木のぬくもりを感じ、他には無い独自のデザインの椅子を思い浮かべる。
しかし、最近のクラフトビールには、例えるなら「木っ端や廃材を見よう見まねで繋ぎ合わせた椅子のようなもの」がある。脚の長さが違ってガタついたり肘掛けがささくれだったような椅子である。
日曜大工やDIY以下、小学生の工作でも「もう少しがんばりましょう」のスタンプしか押してもらえないようなしろものだ。
小規模であることが、クラフトだとは限らない。
クラフトビールは1960年代にアメリカで起こったムーブメント。
ビールの歴史を学ぶと、クラフトビールのムーブメントは1960年代中頃にアメリカで始まったことがわかる。
フリッツ・メイタグ氏がサンフランシスコのアンカー・ブルーイングを復興させたことに端を発し、(ブルックリン・ブルワリーの創立者でありジャーナリストのスティーブ・ヒンディ氏の著「クラフトビール革命」でも第1章の1行目に「すべてはフリッツ・メイタグから始まった」と記されている)そこには「伝統的なビール造りへの回帰」と「大量生産による大手ビールに対するアンチテーゼ」というメッセージがあった。
さらに詳しくはJBJAサイトの2015年9月25日の記事を読んでいただきたいが、要約すると【クラフトビールとは「正しいビールの知識と技術」と「自由な発想と創造性」の両輪から成り立っている】ということだ。
正しいビールの知識や技術を蔑ろにすると奇天烈にしかならず、自由な発想と創造性がなければ模倣の域を脱することはできない。
両輪のバランスが整ってこそ、クラフトビールが駆動するのである。
大手が造るとクラフトビールではないのか?
私は以前から、「大手メーカーが造ったビールだからクラフトではない」という意見には異を唱え続けてきた。
アサヒ・スタウト、アサヒ・世界ビール紀行、キリン・スタウト、キリン・ヨーロッパ、モルツ・スーパープレミアム、ヱビス・プレミアムエールなどなど……。
他にも「クラフトビールと呼ぶにふさわしい大手メーカの作品」は多々ある。
はたして、「小規模醸造所が造るビール」=「クラフトビール」で「大手メーカーの造るビール」=「クラフトではない」といった単純なものなのだろうか?
今回、ファミリーマート限定のサントリーWORLD CRAFT<無濾過>ホワイトビールを、「大手メーカーのビールだから」という理由で評価しないというのであれば、日本は小規模醸造解禁以来25年以上かけて何を学んできたのか? と問わねばなるまい。
WORLD CRAFT<無濾過>ホワイトビール、テイスティングレポート
原材料の表示は大麦麦芽、小麦麦芽、ホップ。アルコール度数は5.5%。テイスティングには500ml缶を使用した。
開栓と同時に漂うエステルのアロマはバナナや麹を思わせる。
グラスに注ぐと無濾過ビールならではの酵母のくすみが美しく、純白の豊かな泡がリッチである。
まろやかな口当たりは上品で、アロマと同じエステルとともに、スパイシーなフェノールのフレーバーが程よく広がる。そのさじ加減は、原理主義的な迷宮におちいることのない見事なバランスと言える。
フルーティな魅力の中に、モルト由来のまろやかな甘味と南ドイツスタイルの小麦ビールとして適切な酸味を感じ、謙虚に隠れているほのかでわずかなホップの苦味も探し出せる。
スルスルと喉に流れ込むドリンカビリティの良さは、日本人の嗜好を意識していて、造り手の創意工夫を感じる。
飲み終わりには、おだやかで嫌味のない後口が残り、心地よい余韻に浸ることができる。
間違いなく、ロング缶を箱買いすべきビールである。
惜しむらくは、これがファミリーマート限定(もっと手軽に買えるようにして欲しい)ということと、値段が安すぎる(倍以上の価格でも買う価値がある)という点ぐらいか。
そして、WORLD CRAFTがシリーズとして他のビアスタイルにも広がっていくことを願ってやまない。
最後は飲み手に委ねられる。
このビールはぜひ、いや絶対に「ヴァイツェン用のグラス」で味わって欲しい。
作品の仕上がりは、鑑賞者に委ねられているからだ。
私達は、このビールを完成させる責任を託されているのだ。答えぬわけにはいくまい。
名画にふさわしい額縁があるように、素晴らしいビールには「ポテンシャルを最大限に引き出すグラス」が用意されるべきである。
きれいに洗浄したグラスに注ぎ、あとは心ゆくまで愛でればよい。
定義はすでに言葉遊びにしか過ぎない。頭を悩ませる必要はなく、ビールを五感で味わえばよい。
素晴らしいビールに贈る言葉は「乾杯!」に尽きる。
※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。