「ビヤホールにはスイングカランが必要だ」:日本で一番ビールを注いだ達人「八木 文博」さんインタビュー
日本のビール界には、名のある「注ぎ手」が存在する。その中でも私は「八木 文博」さんの注ぐ「サッポロ生 黒ラベル」が大好きだ。嫌な雑味が一切なく、麦の旨味とクリーンなのどごしに、いつのまにかグラスが空になっている。何杯飲んでも、最後の一滴まで「うまい」と感じてしまう。同じビールであるはずなのに、自身が注いだものとはどうしてこんなにも違うのか?
「実をいうと、(私)すごいんですよ。」
そうにやけて見せた「レジェンド」の素顔や注ぎの理論に迫ってみた。
ビールが苦手だからこそ、誰よりも美味しく注げるように
八木さんは1966年(昭和41年)にビアホールなどを経営する「株式会社 ニユートーキヨー」に24歳で入社した。「ニユートーキヨービヤホール 数寄屋橋本店」にてビールカウンター係に配属されてから2019年12月の勇退まで約55年間、多くのビール好きを魅了してきた。平成初期に目隠ししたまま連続で5杯のビールを注ぎ、泡の高さを全てぴたりと揃えたシーンがテレビ番組で放送されたことで、さらにその名が全国に知られることになった。
その他にも「ビアレストラン 池袋ミュンヘン(※)」をはじめとする複数の店舗責任者や、「ビヤステーション両国(※)」での地ビール事業の立ち上げから醸造に至るまで、非常に多岐にわたる経験をされてきた。しかし意外なことに、ビールが大好きで同社の扉をたたいたわけではないという。
「僕、ビール飲めなかったんだよね。ある時、社長と電車でばったり会って、ビールカウンターの配属になりましたって話したわけ。「美味しいビールを頼むよ!」って言われたんだけど、、、。自分が注いだビールを試飲していただく機会があって、話の流れで飲めないのがばれて「飲めないのに何がビールカウンターだ!」って言われてさ。くそーっと思ってね、美味しいビール出してやろうと思って、そこからいろんなことやり始めたり考え始めたりしたのよ。」
「ビールが苦手」というハンディキャップを埋めるためにも、人一倍研究を重ねた。当時注ぎ方についてはまさに「見て覚えろ」。一番美味しいを評判だった先輩を観察し、何かあれば手書きで詳細にメモを取り、検証を繰り返したという。その積み重ねによりビール注ぎの達人といわれるまでの技術を確立していったのだ。
スイングカランの一度注ぎが確立されるまで
ビールを注ぐことに関して、一番頭を悩ませたのは数寄屋橋本店後の次の勤務地となる「ビアレストラン 池袋ミュンヘン」立ち上げの時だった。
「数寄屋橋の時は既に出来上がっていた店舗だったから、(新規オープンの店舗でも)配管や設備が設置し終わったらビールも問題なく注げると思っていたわけ。いざ注ごうと思ったら泡だらけで全然ビールにならなくって、注ぐ以前の問題でした。」
現代の樽生サーバーは、炭酸ガスでケグ(KEG:主にステンレス製の専用容器。10-20Lサイズが国内では主流)内のビールを押し出すことでタップ(=カラン:注ぎ口)から出た液体をグラスに注いでいくシステムであり、メーカーの指示どおりに設定すれば容易にビールを注ぐことができる。しかし、同店舗は500Lという大きなタンクから直接カウンターのカランまでビールが運ばれてくるレイアウトであったため、タンクにかけるガス圧とビールの流速、温度などの調整はほぼ手探りであった。
「押し出すためのガス圧を下げると、ビールに溶け込んでいた炭酸ガスが液体から抜け出て泡しか注げなくて、逆に上げるとスピードが速すぎて同じく泡だらけで注げない。当時は知識もなかったし、メーカーの技術者にみてもらっても100%の解決まで至らなかった。」
試行錯誤の末に、ビールホースの長さが長ければガス圧をかけながら流速をコントロールできることを発見。バケツの中に、ビールホースを何十mも巻くことで上記の問題を解決した。
それと並行して、「注ぎ方」を理論的に理解することにも注力した。同店の注ぎ口は「スイングカラン」と呼ばれ、昭和初期~40年代のビアホールでは主流のタイプだった。現代の泡付け機能付きのサーバーとは異なり回転式のハンドルで開け閉めする。それを用いて注ぎ足しなしで注ぎながら泡を作っていく「一度注ぎ」が八木さん含め同社での注ぎ方だ。
泡の付け方はビールを注ぎ入れる『角度』と『位置』をビールの状態を見て調整をしていく。『角度』は液体がらせんを描くようにグラス側面を流れていくことが重要だ。『位置』はビールの注がれる速度や泡立ちやすさに合わせて変更する。例えば、泡立ちやすいビールはグラス底により近い位置から注ぐことで泡立ちにくくなり、逆に、泡立ちにくいビールはより遠い位置に注ぎ口を当てることで泡を立てるといった具合だ。
ここで、「一度注ぎ」の基本の型を解説していただいた。
- グラスは45度程度に斜めに構える。ジョッキの場合、人差し指一本で軽く持つようにするとこの角度になる。ビール抽出時は脇を閉じ、ひじを立てないようにすることでグラスがぶれずに姿勢が安定する。
- 初流のビールはグラスに入れず少し落とす。カランが全開になるまでにやや絞られた液体が余計な泡を生む要因や、経験的に少し渋くなる原因になるという。
- 注ぎ入れる位置はグラス縁のから3-4㎝程度を目安に。グラスの左でノズルを付け、グラス内のビールを右回転させる。途中から徐々にグラスを立てながら泡下に液体を入れることで、縦に液体を回し泡量を調整する。
- ビール抽出後、カランを全開の状態から瞬時に締め(絞った液を入れない)、泡表面をへらで切ることで荒い泡をカットする。液体がグラス内で3-5回転するようにすると、柔らかくきれいな味わいで注げるという。
「泡の性質を使って、経験的に(ビールを注ぎ入れる位置を)どこがいいのかな?って覚えていく。最初は奥に突っ込んだ方がいいのか?真ん中に当てた方がいいのか?いろんなテクニックを自分で覚えたんだよね。だれも教えてくれないんですよ。」
流れ出るビールの状態を見ながら、一杯ごとに微調整をかけていく。まさに職人芸だ。
ビヤホールには「スイングカラン」が必要だ
現在は誰もが同じように注げるような瞬冷式のビールサーバーが普及しているが、やはりビヤホールには「スイングカラン」が必要だと八木さんは言う。
「例えばお客さんが10人くらいばって来た時にさ、ビール10杯くれって言ったとき、現在のサーバーだと時間がかかるわ泡が消えるわで四苦八苦しないといけない。スイングカランだとものの1分で「美味しいビール」がぴゅーって注げちゃう。」
お客様全員に素早く100%の状態のビールを提供する。スイングカランによる「一度注ぎ」の操作は難しいが、メーカーの造った”100点”のビールを、それに近い状態で提供できるのが魅力だという。
そのためにも、スイングカランで美味しい一度注ぎビールを注げる人材を増やしていきたいという。取材を行っている間も惜しみなく資料を拝見させてくださったりと、その熱意を存分に感じることができた。
八木さん自体が注ぐビールを飲む機会は難しいかもしれないが、その意志と技術が注がれたビールを様々な場所で飲めることを期待したい。
※現在はどちらも閉店。
※取材協力:Highbury -The Home of Beer-
※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。