【連載ビール小説】タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗~①
ビールという飲み物を通じ、歴史が、そして人の心が動く。これはお酒に魅せられ、お酒の力を信じた人たちのお話。
時は江戸。もしくは江戸によく似た時代。
その日、喜兵寿が店を開けようと外に出ると、銀髪の男が大の字で眠っていた。ぐうぐうと大きないびきをかく男の髪型も服装も、全く目にしたことがない妙ちきりんなもの。ここいらには傾奇者が多いとはいえ、こんなおかしな奴は見たことがなかった。
「おい、お前酔っ払いか?どこから来た?」
喜兵寿は持っていた箒で男の脇腹を小突いた。しかし男は全く反応しない。喜兵寿は大きくため息をつくと、男をさらに強く小突いた。昼間っから面倒事はごめんだが、こんなところに居座られたら店を開けることができない。
「お~い、起きろ~!起きないと身ぐるみはがすぞ~」
喜兵寿が男の脇にしゃがみ込むと、寝返りを打った男の手から瓶がごろんと落ちた。
「なんだこれ?」
瓶に鼻を近づけると、ぷうんと漂うのは嗅いだこともない匂い。
「うっ、これは酒か?いや、でもこんなにおいは嗅いだこともない……おい、お前何者だ?」
喜兵寿は男の上半身を無理やり起こすと、ぶんぶんと揺すった。
「うあ?!」
男は素っ頓狂な声を出すと、目をしばたたかせた。
「なんだ?どうした?!」
「お前酒臭いな!どうしたはこっちのセリフだよ。おい酔っ払い、お前どこから来た?」
「ふわあぁぁ、そう大きな声出すなよ」
男は大あくびをしながらあたりを見回した。
「……?どこだここ?」
男はしばらく何かを考えているようだったが、「だめだ、ねむい」と呟くと、再び地面にごろんと寝転がってしまった。
「おい、起きろって。ここで寝られたら店の邪魔なんだよ!」
喜兵寿が再び起こそうとすると、男は半分程目を開け、ポケットから瓶を取り出し喜兵寿に渡してきた。
「しょうがねえなあ。これ。おれが造ったビール。めちゃうまだからやるよ」
半透明の瓶は、いままで喜兵寿が触ったこともないほど滑らかで、日の光に透かすと液体が入っているのがわかる。
「なんだこれ?」
「だからビールだっていってんだろ。おれ、すぐそこの月島ブリューイングでビール造ってんだわ。これ名刺代わりにやるからさ、もうちょっとだけここで寝かせてくれや」
そういうとまたぐうぐうと寝息を立てはじめてしまった。
「びいる……?ってかおい!ここで寝るなっていってんだろ!」
――
その日も酒問屋「柳や」は、常連客たちでいっぱいだった。仕事帰りの肉体労働者に、あきらかに堅気ではないような連中。毛色は違えど「柳やの酒がすき」という点は共通しており、だからいつだって店の中は笑いで満ち溢れている(たまに喧嘩も起こるが)。
「それで、このわけのわからない奴さんを置いてやってるってわけだ。まったくきっちゃんも人がいいねえ」
常連たちは店の隅に転がっている男をみながら、ガハガハと笑った。この店に集うのは、常に刺激を求めているような人種だ。変な髪色の、変な服をきた酔っ払いは最高の酒のつまみに違いなかった。
「本当、信じらんないったらありゃしない。こんなおかしな人、外にほっぽっときゃいいのに。はい、熱燗1丁おまたせだよ!」
喜兵寿の妹、つるは男を忌々しげに眺めながら酒を膳の上に置いた。つるは一見華奢に見えるが、力はそこらの男どもよりも強い。つい力が入りすぎてしまったのだろう、膳の上で徳利がピキッといやな音をたてた。
「そりゃあごもっともだ!でもよ、つるちゃん。店の前におかしなやつがいるってんじゃ、またあの岡っ引きがくるかもしんねえだろう?ただでさえこの店、目つけられてるんだからよ、目立たねえことに越したことはないだろ」
「目をつけられてるのは、あなたたちが酔っぱらって外で暴れるからでしょう!今日は飲みすぎないように、ちゃんといっぱい飲んでいきなさいよ!」
「どっちだよ!」
どっと沸く店内を横目に、喜兵寿は黙々と料理を作っていった。マグロの刺身に、きんぴらごぼう、芝海老炒りに、湯豆腐。店は西の歴史ある酒蔵「柳や」の酒が飲めるだけでなく、つまみもうまい店としても名が通っていた。
「お兄ちゃん、熱燗1丁追加で。あと幸民先生さんがなんかうまいもんをくれって言ってる」
「あいよ」
喜兵寿は大きな鍋を持ち上げると、火にかけた。今日の一押しはなんといっても「どぶ汁」だ。炒めたあん肝の香ばしい香りを、ぶりぶりとしたあんこうの身にまとわせる。それらを野菜と一緒にじっくりと煮込んだ自信作だ。どぶ汁の汁が焦げ付くかつかないかのギリギリのところで喜兵寿が蓋を開けると、ふわっという湯気と共に店中にいい香りが広がった。
「おいきっちゃん、こりゃあなんの匂いだ?!」
「あーいいにおいだ!こっちにもおくれ!」
それにつられたように、店内がざわつく。
「大鍋で作ってあんだ、急がなくてもたくさんあるよ」
喜兵寿はどぶ汁を椀によそい、小ねぎをふりかけた。見るからに濃厚そうな、どろりとした汁が黄昏時のひかりに反射し、てかてかと光っている。
「おまち、酒がたんまり飲みたくなるつまみだよ。さあ食べる奴は誰だ?」
盆に椀をいくつか乗せて店に出ていくと、客たちに混じってさっきの銀髪の男が座敷で酒を飲んでいた。
「……!!おい、お前いつ起きたんだ?!」
銀髪男は「おれ?」というように小首を傾げると、小さくおちょこをあげた。常連客がその肩をがしっと組む。
「あー、こいつね!気づいたら起きててさ。なんだか意気投合いしちまったから一緒に飲んでんだよ」
「なあ!こいつおもしろいんだよ」
銀髪男はおちょこの酒を飲み干すと、「本当にこの酒うまいな!もっとくれ!」と盆に置いてあって徳利を持ち、ぐいぐいと飲み干した。その様子に大笑いする周りの男たち。
喜兵寿はやれやれとため息をついた。いくら平穏な時代が長く続いているとはいえ、最近は異国のわけのわからない連中が港に来ていたと聞く。
「おいお前、名前は?」
喜兵寿が尋ねると、銀髪男は「あ?」と怪訝そうに顔をしかめた。
「なんだ偉そうに。人に名を訪ねる前に、自分から名乗るもんだってお母さんから習わなかったんですかあ?」
その後頭部をつるがバコンとはたいた。
「っ!いってえ!」
「店先に転がってたあんたを助けてくれた、この店の店主だよ!」
「おぉ!あんたが!」
銀髪男はいきなり大きな笑顔になると、頭をさすりながらふらふらと立ち上がった。
「昨日はうっかり飲みすぎちまったみたいで申し訳ない。俺の名前は久我山 直也。なおでいいよ」
そういいながら手を差し出してくる。
「……喜兵寿だ」
喜兵寿はその手をとらず、じろりとなおの全身に目を走らせた。
「一応確認だが、あの黒い船に乗ってきたわけじゃないだろうな?」
「黒い船?なんだそれ」
なおはきょとんとした顔で眉間に皺を寄せる。
「墨田川近くの店で飲んでたんだ、いくら酔っぱらってたとはいえ、船には乗ってないと思うぞ……?」
「そうか」
なおの言葉に喜兵寿は小さく頷くと、差し出された手にどぶ汁のはいった椀を渡した。
「まあとりあえず、お前も食え。話を聞くのはそのあとだ。さっきまで眠ってたんだ、すきっ腹に酒を入れたんじゃ身体もびっくりしちまう」
「まじか!めっちゃうまそうじゃん。ちょうど腹減ってたんだよ」
なおはほくほくとした顔で座敷に戻ると、男たちに混じって「うまい、うまい」と汁を食べ始めた。
「『黒い船』ってついこないだ浦賀に来てたって噂になっていたやつだよな?」
一通りどぶ汁を食べつくすと、店の客たちが口々に『黒い船』について話し始めた。
「あれって結局なんだったんだ?」
「さあ?数日間海の上にいて、またいなくなっちまったんだろう?お上からは何の通達もねえし、おれら庶民には関係のない話かもしんねえけど、やっぱ気持ちは悪いよな」
「おれの従弟のつれが三浦に住んでるんだけどよ、港まで見に行ったっていってたぜ。本当に動く城みたいだって騒いでた」
「まじかよ。城が海に浮かんでるとかやばいな」
そんな男たちの会話を聞きながら、なおはけたけたと笑い出した。
「お上とか、城とかなんの話だよ!時代劇かっつーの。そんな話よりさ、この熱燗といい料理といい、喜兵寿ってまじで腕がいいのな」
そういいながら、おちょこをくいっと飲み干す。その様子をみながら、横の客がどや顔で言った。
「そりゃあそうさ、ここの酒は伊丹の歴史ある酒蔵『柳や』の下り酒だからな。うまいに決まってる!」
「なんでお前が自慢してんだよ」
他の客が笑う中、なおはもう一度酒の味を確かめるようにぺろりと舐めた。
「ふうん?でもたぶんだけど、元の酒の質よりも喜兵寿のお燗の仕方がうまいんだと思うぞ?俺、舌には自信があるんだ。なんてったって売れっ子ブルワーだからな」
「あはは、ぶるわあ?なんだそれ」
「ビール造る人間のことだよ。クラフトビールは飲んだことないか?」
「びいる?なんだそりゃあ」
「は?ビール飲んだことないのか?え、じゃあいつもなに飲んでんだよ」
「なにって、日本酒以外になにがあるんだよ?」
なおと客たちのかみ合わない会話を厨房で聞きながら、喜兵寿は先ほどなおが手渡してきた瓶を眺めていた。瓶はギザギザとした鉄のようなものでしっかりと封がされており、小さくゆすってみると小さな泡のようなものが動く。そして瓶のラベルには見たこともない文字でなにかが記されていた。
喜兵寿は江戸中の酒には誰よりも詳しいという自負があった。問屋がどんな酒を扱っているか、そして近郊の酒蔵がどのような酒を造っているか、日々変わる酒情勢は常に追い続けてきたつもりだ。それでもこんな酒は見たことも聞いたこともなかった。
見たこともない格好をした男がもっている、見たこともない酒。一体これはどんな味がするのだろうか。
「つる、なおを厨房に呼んでくれ」
喜兵寿が座敷にいるつるに小さく声をかけると、しばらくして上機嫌ななおが現れた。
「この日本酒まじで最高だよ!ってそれ俺が造ったビールじゃん!ないと思ったら喜兵寿が持ってたのか」
「お前がくれたんだろう。なあ、さっきから言っている『びいる』とは一体なんなんだ?」
「あー喜兵寿もビール知らない系?いやあ、まさか世の中にビール知らない人間がいるとは思ってなかったからさ、びっくりしてるわ。でも俺らブルワーの力がまだまだ足りてないってことでもあるんだろうな、と思ってさ。正直やる気でたよ、ありがとな」
「だから『びいる』とは……」
「ま、説明するより飲んだ方が早いって」
なおはそういうと喜兵寿の手から瓶を奪い、ポケットから出した細長いもので瓶の蓋を開けた。
「なっ!?」
シュポっという音と共に、蓋の空いた瓶から一気に泡がこぼれだす。
「こ、こ、これはなんだ?!」
「うわ、喜兵寿、瓶振ったな~!なにか入れるもの、入れるものっと……まあこれでいいか」
なおは棚に置いてあった湯飲みに液体を注ぐと、喜兵寿に差し出した。
「ほい、これが俺が造ったビール」
湯飲みを覗き込んでいた喜兵寿は、炭酸の弾ける様に目を見開くと裏返ったような声を出した。
「酒が、酒が跳ねている……!」
「あはははは!おもしろい言い方すんなあ!そうだろう?しゅわっしゅわだぜえ。ってか早く飲んでみてくれよ」
「これは本当に飲んでも大丈夫なのか?」
喜兵寿はおそるおそる湯飲みに鼻を近づけると、くんっと大きく息を吸い込んだ。
「やはり嗅いだことのないが、これは紛うことなき酒のにおいだ。香ばしく炒ったような穀物のにおいに、これは蜜柑の皮のにおい、だろうか。あとは……米のようなにおいもするな?日本酒のような吟醸感もある」
においをかぐと、喜兵寿の目の色が変わった。今度は湯飲みの中の液体を数滴、自分の手のひらにのせる。
「色は山吹色なのだな!いや、実際はもっと濃いのか?おい、なお!この酒、肌の上でも液体が小刻みに震えているぞ!これは一体どうしたものか。本当に奇術のような酒だ。嗚呼、このまちの酒はすべて飲み尽くしたと思っていたが、まさか今日という日にこんな出会いがあるなんて」
「だから早く飲めって!」
にやにやとおかしそうに見ていたなおだったが、ついに我慢できずに突っ込んだ。
「小難しいこといってないで、まずは俺の自慢の酒を飲んでみてくれよ」
「……たしかに、そうだな。申し訳ない」
喜兵寿は小さく咳ばらいをすると姿勢を正し、改めて湯飲みに向かい合った。
「では、いざ」
そういってぐうっと湯飲みの中の液体を一気に飲み込んだ。
「……っ?!」
喉を抑え、目を白黒させる喜兵寿。
「ぐうううううううううううう。うわあああ。舌が!喉があああああ!」
なおはその様子をきょとんとした顔で見ていたが、次の瞬間には大爆笑していた。
「ぎゃははははは!なんだそれ!!!まじでうけんだけど。まさかそんな初めて炭酸飲んだ子どもみたいな反応するとは思わなかったわ」
喜兵寿は肩で息をし、涙をためながらぜえぜえと言った。
「お前、まさか毒を盛ったのでは……」
「はあ?ってか喜兵寿も俺と同じく好きで酒に関わる仕事してんだろ?酒に情熱注いでるやつが、そんなことするわけないだろ?」
爆笑を止め、ぎろりと睨みつけるなおに対し、喜兵寿は神妙な面持ちで小さく頭をさげた。
「すまない。口の中に雷でも落ちたのかと思ってしまった」
「ったく……」
なおは残ったビールを、瓶から直接ぐびぐびと飲んだ。
「やっぱ俺の造ったビールはうまいわ。それにしてもビールだけじゃなく、炭酸すら飲んだことないって、本当に時代劇の世界みたいだな。ってか喜兵寿は髪長いけど、飲みに来てるやつら、まじで全員着物にちょんまげだしさ。え、まじでここ江戸時代?みたいなさ。そんなおかしな格好して、今日は祭りでもあるのか?」
なおの言葉に喜兵寿は考え込んでいたが、しばらくして言った。
「お前の言っている意味がわからんが……この町の大抵の男はまげを結っているぞ?」
「は?何言ってんだよ。そんなわけあるはずないだろ?」
なおは笑いながら、店の外へと出ていった。と思いきや、ものすごい勢いで帰ってきた。
「え?喜兵寿!え?なんだここ?時代劇の人しかいないんだけど。え?これって映画のセット?」
「だからそれはどういう……」
喜兵寿がしゃべり終わらないうちに、「いや、もう一回みてくる!」となおは飛び出していき、またしてものすごい勢いで厨房に飛び込んできた。
「ちょんまげ、馬、あと全部土!!!まじで土しかない!んでもって全員着物じゃん。草履じゃん。え、ちょんまげじゃん!はあ?俺まだ寝てる感じ?それか酔っぱらってるのか?いや、酔っぱらってはいるけれども!」
大きな声で取り乱すなおに、つるも店の客も「どうした、どうした?」とわらわらと厨房に集まってきた。
「ひょっとしておれ、タイムスリップでもしたのか?!いや、そんなまさかな!あはははは」
なおはひとしきり騒ぐと、突然ぴたりと止まるといった。
「よくわかんねえけど……とりあえず酒飲むわ。喜兵寿、熱燗1本つけてくれ」
―続く
※このお話は毎週水曜日21時に更新します!
※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。