Pabst Blue Ribbon(PBR):アメリカのレトロなビールの魅力【JBJA Channel】
ビールに愛された皆さまへ!
今日公開のJBJAChannelでは、はアメリカのラガービール「Pabst Blue Ribbon(PBR)」を楽しく味わっております。
こちらの記事ではとことん深堀りしてご紹介しますね。
PBRはただの格安ビールではなく、独自の歴史とカルチャーを持つ魅力的なブランドなんです。PBRの発展、禁酒法時代のサバイバル、再評価された経緯、そして現在の立ち位置について詳しく紹介します。
目次
PBRの歴史と年表
年代 | PBRの出来事 | アメリカの歴史 | 日本のビール関連の出来事 |
---|---|---|---|
1844 | Empire Brewery(後のPBR)がウィスコンシン州ミルウォーキーで創業 | 西部開拓時代 | 江戸時代(幕末期) |
1870 | フレデリック・パブストが会社を拡大 | 鉄道の発展、工業化進行 | 日本初のビール醸造所(スプリング・バレー・ブルワリー)が横浜に設立される |
1893 | シカゴ万国博覧会でPBRが受賞、「Blue Ribbon」の名を獲得 | 1893年恐慌(経済危機) | サッポロビール(当時の開拓使麦酒醸造所)が本格稼働 |
1920 | 禁酒法施行、PBRはチーズ事業「Pabst-ett」に転換 | 禁酒法開始 | 日本ビール業界も世界恐慌の影響を受ける |
1933 | 禁酒法廃止、PBRがビール製造を再開 | 世界恐慌の影響継続 | キリンビールが「キリンラガービール」を発売 |
1939 | PBRの生産拡大と戦時中の供給体制へ移行 | 第二次世界大戦勃発 | 大日本麦酒が日本国内でのビール市場を独占 |
1950 | PBRがアメリカのトップブランドに | 冷戦時代突入 | サッポロビールが復興し、日本のビール市場拡大 |
1970 | PBRの人気がピークに達する | ベトナム戦争継続 | 日本のビール業界が高度成長期を迎え、缶ビールが普及 |
1980 | バドワイザーなど大手ブランドの台頭でPBRのシェア減少 | レーガン政権が経済政策を推進 | バブル経済が始まり、プレミアムビール市場が拡大 |
1995 | アメリカでクラフトビールブームが加速 | クラフトビール人気が上昇 | 日本で酒税法改正、小規模醸造が可能になり地ビールブームが到来 |
1996 | PBRのミルウォーキー醸造所閉鎖、ミラー社に生産委託 | IT革命が始まる | バブル崩壊後、地ビールブームが到来 |
2000 | ヒップスター文化によりPBRが再評価 | 9.11テロ事件 | クラフトビール文化が日本でも広がる |
2017 | 「Pabst Milwaukee Brewery & Taproom」オープン | トランプ政権発足 | 日本各地で地ビール・クラフトビール醸造所が増加 |
2024 | PBRが伝統を守りながら、新たなクラフトビール開発を続ける | 米中対立激化 | 日本のビール業界は少子高齢化の影響を受けるも、クラフトビール人気は継続 |
PBRの誕生と発展
PBRは、1844年にウィスコンシン州ミルウォーキーで創業された「Empire Brewery」が起源です。創業者ヤコブ・ベスト(Jacob Best, Sr.)が家族とともに小規模醸造を開始。その後、義理の息子であるフレデリック・パブスト(Frederick Pabst)が経営を引き継ぎ、1870年代にはアメリカ最大級のビール会社に成長しました。
1893年のシカゴ万国博覧会では、その品質の高さが評価され、ブランド名を「Pabst Blue Ribbon(パブスト・ブルーリボン)」に変更。この「ブルーリボン」は、博覧会での受賞を記念し、実際にボトルのネック部分に青いリボンを巻き付ける装飾が施されるようになったことから名付けられました。これにより、PBRのボトルは一目で識別できるデザインとなり、ブランドの象徴となりました。その後、青いリボンの装飾はラベルデザインに取り入れられ、現在の「Blue Ribbon」ロゴの基礎となっています。ボトルに青いリボンを巻き付けて販売し、ブランドの象徴となりました
禁酒法時代のサバイバル:Pabst-ettの誕生
1920年に施行された禁酒法の影響で、多くのビール会社が倒産しました。しかし、PBRはビール醸造を諦めず、事業を転換。クリームチーズ風の加工チーズ「Pabst-ett(パブステット)」を開発し、禁酒法が終了するまでこの事業で会社を維持しました。
この期間、PBRは醸造設備を完全には手放さず、1933年に禁酒法が廃止されるとすぐにビール生産を再開。戦略的な決断によってブランドは生き残りました。
PBRの低迷とヒップスター文化による復活
1950年代にはアメリカで最も売れるビールブランドの一つでしたが、1980年代以降、バドワイザーやミラーなどの競争に押され、PBRの人気は低迷。1996年には本拠地ミルウォーキーの醸造所を閉鎖し、ミラー社に生産委託する形となりました。
しかし、2000年代に入ると、ヒップスター文化の影響でPBRが再評価されました。広告を大々的に打たず、自然な口コミによって「クールなレトロビール」として若者の間で人気が復活。アート、音楽、スケートボードなどのカルチャーシーンと結びつき、独自のポジションを確立しました。
ミルウォーキーとPBRの聖地
ミルウォーキーは「アメリカのビールの街」として知られ、PBRの発祥地でもあります。現在、旧PBR醸造所跡地は「The Brewery District」として再開発され、ビールファンの聖地となっています。
1. Pabst Milwaukee Brewery & Taproom
2017年、PBRは再びミルウォーキーに戻り、「Pabst Milwaukee Brewery & Taproom」をオープン。ここでは、PBRの伝統的なラガーに加え、限定のクラフトビールも楽しめます。
2. Best Place at the Historic Pabst Brewery
PBRの本社だった建物が「Best Place」として改装され、PBRの歴史を学べるツアーが開催されています。ビンテージのPBR広告やアイテムが展示され、PBRの過去を追体験できます。
3. The Brewhouse Inn & Suites(ブリューハウス・イン&スイーツ)
かつての醸造所を活用したビールファン向けのホテル。ロビーにはPBRの歴史的な醸造設備が展示され、ビール文化を身近に感じられる場所です。
日本でPBRに出会うには?
現在、日本では株式会社ファイヤーワークスがPBRの輸入総代理店として販売を行っています。全国のアメリカンダイナーやバー、一部の輸入食品店、またはECサイト(Amazon、楽天など)で購入することが可能です。
また、サーフィンやスケボーなどの横乗り系のイベントなどで出会えることも!?西海岸の空気を感じながら、PBRを楽しみたいですね!
PBRのグッズも充実!
PBRはビールだけでなく、アパレルや雑貨などの公式グッズ販売も充実しています。ロゴ入りのTシャツ、キャップ、ビールグラスなどが販売されており、公式サイトや一部のセレクトショップで購入できます。レトロなデザインが特徴で、ファッションアイテムとしても人気です。
公式オンラインショップはこちら
まとめ
PBRはアメリカのビール史に深く根付いたブランドであり、時代の変遷を経て独自の魅力を持ち続けています。安価ながらも質の高い味わい、ヒップスター文化との融合、そして歴史的な背景が、PBRを単なるビール以上の存在にしています。
もしまだ試したことがない方は、ぜひPBRを味わってみてください!
ミルウォーキーを訪れる際は、「The Brewery District」でPBRの歴史を体感してみるのもおすすめです!
動画でも楽しくご紹介
今回も、フィットネストレーナーの古川杏梨さんをゲストにお迎えして、ビールをご紹介しています。楽しくおいしくビールをご紹介しています。
是非、動画もご覧くださいね。
※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。