一歩進めたビール雑学(1) ホップ入りビール普及の陰に○○あり!?
目次
■一歩進めた雑学を考えよう!
何事にも、その裏に隠れた歴史やトピックがあるものです。
もちろん、我々の愛するビールにも。
そんな雑学的な裏話を知ると、ビールの見方が変わり、味わいまでいつもと違ったものに感じたりすると思いませんか?
飲み会で、新しく知った雑学を披露すれば、さらに盛り上がること確実!?
ということで、この記事では、ビールにまつわる雑学を紹介し、皆さんの飲み会を盛り上げる、ビールライフを豊かにするなどの一助にできればと思っています。ただし、普通の雑学をちょっと工夫して、この記事では、「一歩進めた雑学」を紹介したいと思います!
この「一歩進めた」の意味はなんでしょうか?
それは、点として存在する雑学を、面、空間に広げた雑学にするということです。
何を言っているかわからない?
はい、そうですね。
もう少し、詳しく説明すると、ある雑学を知った時に、なるほど!となりますが、よくよく考えてみると、この雑学はどんな背景から生まれたのだろうかとか、この部分が腑に落ちないとか、もう少し詳しく知りたい箇所があるとか、次の疑問が生まれてくることはないでしょうか?
この記事では、雑学の中に発生するこのような疑問を紐解くことで、さらなる雑学を発掘し、雑学同士を結び付けていくことによって、雑学を点ではなく、面、空間で捉え、雑学を深めていこうと思います。
「進んだ」ではなく「進めた」となっているのは、「進んだ」というと新たな雑学を発掘した感じになりますが、この記事は雑学同士を結び付けて深く理解していこうとするものだからです。
より深い雑学で、飲み会が盛り上がること間違いなし!(のはず)。ビールに関する知識も深まり、日本ビール検定でも役立つかもしれません!
では、説明ばかりしていても仕方ないので、まずは試してみましょう!
(お忙しい方は、最後のまとめだけでも読んでいただければと思います)
■今回深める雑学は・・・
今回取り上げる「点の雑学」はこれです。
「ホップの入ったビールは、15世紀頃にハンザ同盟によって普及した」
ホップを効かせたIPAスタイルが大流行の現在、ビールにおいて、ホップって欠かせない材料ですよね。でも、このホップ入りビールが普及したのは意外と新しいのです。
この雑学は、日本ビール検定の教科書にも載っている有名なものです。
はい、ここで、疑問が浮かびますよね。
「ホップはもっと昔から栽培されているはずだけど、なぜ15世紀までホップ入りビールは普及しなかったのか?」
今回はこの疑問の謎を解き、「面の雑学」を作りたいと思います。
■雑学に関する基礎知識
疑問を解く前に、ホップ、ハンザ同盟の基礎知識を整理しましょう。それぞれ事細かに書いていくと、それだけでも相当な量になるので、謎解きに必要な部分を中心に記載していきます。
(1)ホップの歴史
まず、ホップです。
現在、ビールに無くてはならない原料となっていますが、アサ科の多年草植物で、和名では「セイヨウカラハナソウ」と言います。
ビールに苦み、香りを与え、また、殺菌作用もあるためビールの保存性を高める役割も担っています。最近では、アルツハイマー型認知症の予防にも役立つとの発表もある有難い植物です。
原産はカフカス地方(黒海とカスピ海の間)と言われ、紀元前6世紀頃からビールに使用されていたと言われています。つまり、ホップは随分昔からビールに使用されていたことがわかります。
やはり、なぜ15世紀まで普及しなかったのか?益々謎が深まってくるわけです。
ちなみに、ホップをビールに使っていたのは、メソポタミア地方の人々で、その頃そこでは、「バベルの塔」「空中庭園」「バビロン捕囚」などで非常に有名なネブカドネザル2世が新バビロニア王国を治めていました。この頃は野生のホップを使っていたと考えられています。
ホップの栽培が始まったのはその後かなり経ってからで、8世紀にドイツのハラタウ地方(ドイツの南部)で世界初のホップ園が作られました。
おおっ、ついにホップが入ったビールが歴史の表舞台に!
残念・・・
この頃は、ビールのためにホップを栽培するというより、薬草の一種として栽培されていたようです。その頃のビールには、「グルート」と呼ばれる薬草(ヤチヤナギ、コリアンダーなど)が香味付け、腐敗防止に使われていて、ホップはメインの材料ではありませんでした。
このような歴史的経緯を経ているホップですが、ハンザ同盟がホップ入りビールを普及させるにはまだ700年近く待たなくてはいけないのです。
ここでのポイントは、
「ホップは紀元前から知られている植物で、中世に突如発見されたわけではない」
ということです。
(2)ハンザ同盟
次に、ハンザ同盟です。
中世ヨーロッパでは、王、諸侯が力を持っていましたが、王、諸侯の権力に対抗し、自由な活動をしようとする、力の強い都市も幾つかあり、都市同盟も存在しました。ハンザ同盟もその都市同盟のひとつですが、その規模と力が他の都市同盟とは一線を画す強力なもので、軍隊を持ち、他の国(デンマーク王国)と戦争をするほどの力を持っていました。
基本的にはバルト海沿岸の都市が中心となった同盟で、リューベック、ハンブルグが1358年に結んだ商業同盟に端を発します。全盛期には200もの都市が加盟したと言われています。ドイツで言うと、北部の都市が中心に加盟しています(図1参照)。
このハンザ同盟に加わった都市の中に、アインベックがありました。1351年に誕生したホップ入りのアインベック・ビール(通称:アインベッカー)は好評を博し、ハンザ同盟の強力な貿易販路により、一気に広まっていったのでした。
■なぜ700年の時が必要だったのか?
以上みてきたように、8世紀にはドイツ南部のハラタウ地方でホップの栽培が行われていましたが、ホップ入りビールが好評を博し、かつ普及に貢献したのはドイツ北部に成立したハンザ同盟です。
その間700年・・・
さらに、ホップの産地のドイツ南部ではなく、ドイツ北部で発展・・・
これらの時間的、空間的なズレ。不思議ですよね。
では、このズレを引き起こした謎を解いていきましょう。
中世のヨーロッパは基本的に王、諸侯(貴族)が牛耳っている封建的な世界です。したがって、基本的に領主がビールの醸造権を握っており、農民、庶民に自家醸造が許された場合でも様々な制約がありました。大きな制約のひとつが、領主が持つ「グルート権」です。
グルートとは、ビールに転嫁される薬草(ヤチヤナギ、コリアンダーなど)で、香味付け、腐敗防止に使われる大切な材料です。ホップも薬草の1種類と言えば1種類ですが、新参者の薬草であり、当時のグルートの材料にはなっていなかったようです。
領主は、グルートの生産・販売の権利「グルート権」を掌握し、グルートを専売することで大きな利益を得ていました。このような状況では、グルートを使わないビールは、領主から見たら利益を損なう密造酒のようなもので、当然許しがたいものです。したがって、基本的にグルートを使ったビールしか醸造できない環境になります。
ホップを入れたビールが爽やかな美味しさを持ち、強い保存性をビールに加えることは12世紀頃にはわかっていたようです。しかし、グルート権を持つ領主たちがその使用に制限をかけていたのです。
つまり、グルート権という既得権が、ホップ入りビールの普及を数百年も遅らせていたのです。
そのような閉塞した状況に現れたのがハンザ同盟です。
ハンザ同盟を構成する都市は、基本的に商業を中心とした商人、庶民の世界です。封建領主が治める堅苦しい世界ではありません。歴史上多くの商業都市がそうであったように、非常に自由な風土になっていたことでしょう。そうなれば、当然、様々な革新的な試みも自由に行われます。既得権を守ることより、庶民というユーザーが喜ぶことに価値があるからです。まさに、自由闊達なシリコンバレーのような場所であったと推察されます。
そのような自由な風土の中、美味いホップ入りビールであるアインベッカーが生まれ、それが急速に広まっていったのです。まさに、シリコンバレーの発明が世界を席巻するように。
ここまでの話を総括すると、
「ホップ入りビールの普及が遅れたのは、中世ヨーロッパの封建社会が、グルート権という既得権を行使し、それに打ち勝つだけの強力な力を持ち、かつ自由な風土を持つ集団が700年存在しなかったから」
ということができるでしょう。
こう考えると、ハンザ同盟が強力な力を持つことができなければ、ホップ入りのビールの普及は数百年遅れてもおかしくありません。いやー、考えただけでも恐ろしいですね・・・
なにか、ハンザ同盟が強大な力を持ったことが奇跡のような気がしてきました。
そうなると・・・
「何でハンザ同盟が奇跡的にそれ程強力な力を持つことができたのか、その源泉は何だったのか?」
さらに、知りたくなりませんか?
そこで、この記事では、もう少し、この雑学を広げてみようと思います。
■なぜ国家をも凌駕する強力な都市同盟が成立したのか?
まず、当時の政治状況を見てみましょう。
ハンザ同盟が成立したとき、ハンザ同盟に加盟する都市の多くは神聖ローマ帝国(当時のドイツ)に属していました。そして、神聖ローマ帝国は複数の諸侯が乱立する連邦国家であり、中央集権的な国家ではありませんでした。したがって、諸侯の権限が比較的弱く、都市が自治権を行使しやすい環境でした。つまり、ハンザ同盟に属する都市は比較的自由な自治権を持っていたのです。この環境を利用してハンザ同盟は力を着けていき、最終的には自ら軍隊を持ち、デンマーク王国と戦争できるぐらいの力を持つに至ったのです。このあたりは、王権が力を持っていた当時のイギリス、フランスと大きく異なる政治的環境です。
自治権がハンザ同盟を強力にしたのは事実だと思われますが、自治権だけで、これ程強大な都市同盟になるのでしょうか?自治権を持っている都市は当時他にもありました。つまり、自治権があるというのは、革新が起こるための前提条件に過ぎません。
ハンザ同盟が強大な力も持つに至った決定的な要因は、その財力です。そもそも政治的基盤が強いわけでない商業都市が国や諸侯と張り合うには、経済的な優位、つまり国や諸侯も凌駕するレベルの財力がなければなりません。軍隊をも持ち、デンマーク王国とも戦争できるほどの財力がハンザ同盟にはあったのです。
これほどの財力を持つ自由都市群が成立するのは奇跡的なことで、その奇跡がそう簡単に起きなかったため、ホップ入りビールの普及が遅れたのです。
では、奇跡を起こすために最も重要な財力の源は何か?
それは、「ニシン、タラの塩漬け」だったのです。
当時のヨーロッパはキリスト教が宗教の中心でした。キリスト教では肉食よりも魚食が許される傾向があり、当時のヨーロッパには魚の膨大な需要がありました。
幸運なことに、11世紀頃から回遊魚であるニシン、タラがバルト海に押し寄せており、ハンザ同盟の盟主であるリューベックでは山のようにニシン、タラが取れました。さらに、ハンザ同盟が幸運だったのは、ハンザ同盟の一都市であるリューネブルクで大量の岩塩が取れたのです。そして、ハンザ同盟では、バルト海で取れる大量のニシン、タラを岩塩で塩漬けにし、魚の保存食化に成功しました。魚の塩漬けは簡単な発明ですが、当時何処にもありませんでした。膨大な魚需要に対して、保存が効く魚の塩漬けがヒットしないわけありません。まさに、ニーズにミートした魚の塩漬けは爆発的に売れて、ハンザ同盟に膨大な財力をもたらしたのです。
15世紀になると、何故かニシン、タラの回遊地域が変わり、北海を中心に回遊するようになります。そして、バルト海でニシン、タラが取れなくなっていきます。
北海のニシン、タラを取りまくったのは、オランダです。これによって、商業の中心はオランダに移り、ハンザ同盟は急速に力を失っていきます(図2参照)。
まさに、栄枯盛衰の陰に、ニシン、タラありです。
■まとめ
「ホップの入ったビールは、15世紀頃にハンザ同盟によって普及した」
と言われています。
「ホップはもっと昔から栽培されているはずだけど、なぜ15世紀までホップ入りビールは普及しなかったのか?」
という疑問を考えたところ、
「中世ヨーロッパの封建社会が、グルート権という既得権を行使し、革新的なホップ入りビールの普及を抑制。その既得権を破壊するには、それに打ち勝つだけの強大な力を持つ革新的な集団(ハンザ同盟)が誕生する奇跡を待たねばならなかったから」
ということがわかりました。
さらに、
「なぜその奇跡(ハンザ同盟が国家をも凌駕する力を持った)が起こったのか?」
を考えたところ、
「バルト海に運良くニシン、タラが回遊しており、それらを使ったハンザ同盟の独占商品、ニシン、タラの塩漬けが爆発的に売れて空前の財力を持つことができたから」
ということがわかりました。
では、「一歩進めた雑学」として、総括してみましょう!
今回の一歩進めた雑学:
「ホップ入りビール普及の陰に、ニシン、タラの塩漬け、あり」
もしニシン、タラがバルト海を回遊していなかったら、ホップ入りビール普及は数百年のレベルで遅れたことでしょう。もしかすると、ホップ狂を唸らせるIPAもなかったりして・・・
スーパーでニシン、タラを見たら、ニシン、タラにお礼が言いたい気分になりますね!
皆様のビールライフの一助になれば幸いです。
*)本記事は、著者が書籍、Web記事等を独自調査し、事実と考えられている事をまとめたものです。学会等の定説になっているわけではございません。また、著者の若干の推察が入っている部分もございます。
※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。