[イベント]2012.2.20

ビールの敷居は下げるべきなのか?

先週、「美味しいビールの悲しい風景」について書いた。
ザックリ要約すると「美味しいビールも提供のされ方で台無しになってしまう」ということである。

先週のコラムでも触れたが「今年はクラフトビールが“くる”」らしい。
そんな中、「クラフトビールの敷居を下げる」「ハードルを下げる」という言葉も良く耳にするようになった。

敷居? ハードル?
私は “敷居”というものをあまり感じないので具体的に“敷居”とは何かと尋ねると
「値段が高い」
「種類やスタイル多くて戸惑う」
「知識がないと楽しめない感じがする」
「一部のマニアの嗜好品っぽい」
「このグラスで飲まないとダメとか言われてめんどくさい」
などといった答えが返ってくる。

確かに、お勉強っぽくなると楽しめないのはよくわかるし、新しく参加しようとする人を排他するムードがあるとするならば反省するべきだ。

しかし、「敷居が高い」と言う人は“敷居”をどれぐらい下げれば“乗り越えてくる”のか? “またいでくれる”のか?

敷居が高いという人の“敷居の高さ”には個人差があるわけで、どこまで下げればいいのだろうか? 
少し下げても、必ず「まだ高い」という人は出てくるわけで、なんだかいたちごっこな気がする。

極端かつ独断的意見だが、私は「敷居が高い」と言う人は、敷居を言い訳にしているだけで、どんなに下げても乗り越えてこないと思っている。
一歩ゆずって、彼らが言う具体的な“敷居”を下げ、その人が入って来たとしても、その人は下がった敷居からまた簡単に出ていってしまう気がする。

敷居というのは、敷居という言葉を使う人の心の中に存在するものであり、誰もその高さを判断することができない。
同じ高さの敷居でも、ある人にとってはとてつもなく高く、ある人にとっては気にとまらないほど低いものかもしれない。
そして、その敷居がどんなに高くてもまたごうとする人もいれば、1mmの段差もまたごうとしない人もいる。

極論を言うと、私はビールの「敷居を下げる必要はない」と思う。むしろ「下げるべきではない」と思う。

私はビールに敷居などないと思っているが、敷居があると感じる人がいるのならば、敷居は存在するに違いない。(いくぶん哲学的な言い回しになってしまったが…)

そこに敷居があるとするならば、必要とされていることはそれを「下げる」ことなのだろうか? 

安易に敷居やハードルを下げるよりも「そこをまたいだり超える手助けをする」ほうが良いと考えるのは私だけだろうか?

※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。

(一社)日本ビアジャーナリスト協会 発信メディア一覧

アバター画像

この記事を書いたひと

藤原 ヒロユキ

ビール評論家・イラストレーター

ビアジャーナリスト・ビール評論家・イラストレーター

1958年、大阪生まれ。大阪教育大学卒業後、中学教員を経てフリーのイラストレーターに。ビールを中心とした食文化に造詣が深く、一般社団法人日本ビアジャーナリスト協会代表として各種メディアで活躍中。ビールに関する各種資格を取得、国際ビアジャッジとしてワールドビアカップ、グレートアメリカンビアフェスティバル、チェコ・ターボルビアフェスなどの審査員も務める。ビアジャーナリストアカデミー学長。著書「知識ゼロからのビール入門」(幻冬舎刊)は台湾でも翻訳・出版されたベストセラー。近著「BEER HAND BOOK」(ステレオサウンド刊)、「ビールはゆっくり飲みなさい」(日経出版社)が大好評発売中。

ストップ!20歳未満者の飲酒・飲酒運転。お酒は楽しく適量で。
妊娠中・授乳期の飲酒はやめましょう。