[コラム]2019.10.10

温故「創」新~前編~

数年前のベルギービールウィークエンドでコインを買う列に優しそうな笑みをたたえて並んでいる人がいた。日本においてベルギービールを語るとき、この人を抜きにしては語れない。ベルギービールウィークエンド実行委員長であり、ベルギービール輸入の最大手、小西酒造㈱の15代目社長・小西新太郎氏だ。

穏やかで優しい笑顔の小西新太郎社長

長年続く蔵元に生まれ、地元・伊丹市の姉妹都市であるベルギー・リンブルグ州のハッセルト市との関係で始めたビールの輸入で儲けたラッキーな人――これは半分当たりだ。しかし、半分は外れ、である。長年続く蔵元に生まれたということにあぐらをかかず、自らの力で開拓をしてきた人なのだ。

実行委員長なのだから、列に並ばずに裏でスタッフからコインを買うことはもちろん、各ブースから味見と称してビールをもらうことも可能な立場だ。なのに「僕はそういうのは嫌いなので-」といい、一般客に交じってコインを買う。自らの立場に甘えることなく、けじめをつける。その姿に「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」ということわざを思い出した。

エールビールを味わって

イギリスに留学経験のある小西氏。初めてエールビールを飲んだ時の衝撃は忘れられないという。「これのどこが旨くて飲んでいるんだ?」、「キンキンに冷えたのをキューっとあおってこそビールじゃないのか?」決して評価は高くなかった。それがいつしか上面発酵の持つ香りのふくよかさ、味わいの深み、どれをとっても日本酒にも通じるものがあることに気づき、好んで飲むようになっていた。

ぬるいビールを美味しく感じるようになり、ハーフ&ハーフにして楽しむようになり、帰国するころには「いずれこの味わいは日本でもスタンダードなものになるだろう」と信じるに至ったという。造り酒屋という家業故に、若いころから酵母の醸す味わいに精通していたのがきっかけだったであろうことは想像に難くない。

ベルギービールを輸入する

兵庫県伊丹市がベルギー・リンブルグ州のハッセルト市と姉妹都市になったのを機に、当時既に酒類の輸入免許を持っていた小西酒造にベルギービールの輸入をしてほしいと要請があったのは自然な流れであった。その頃はまだ日本酒の世界的な知名度が低かったので、日本酒をベルギーに輸出するという選択肢はなかった。

しかし小西社長には、以前ワインやドイツビールを輸入した経験があったため、コンテナ単位での輸入の難しさを知っていた。そのビールがいくら旨くても、なじみがない等の理由で買われずに売れ残る可能性は大いにある。売れ残ったビールの賞味期限は容赦なく迫ってくる。そのうえ日本の食品の店頭販売においては、賞味期限がある程度残っていなければならないという通称「1/3ルール」がある。

「1/3ルール」とは、食品の製造日から賞味期限までの合計日数の3分の1を経過した時点までを納入期限、3分の2を経過した時点までを販売期限とするもので、現代における食品ロス問題の根幹をなすもの、という人もいる商慣行だ。その起算日は製造日であるため、船で輸送される外国のビールはかなり不利だ。そのため、日本人にとってあまりなじみのなかったベルギービールのどれか1種類だけをコンテナ単位で輸入するのは無謀なことと思われた。

そこで、輸入にあたってコーディネーターに面白そうなビールを何種類か集めてもらったのだという。そうして輸入されたビールの中には、今でも人気の高い銘柄も含まれていた。ベルギーの醸造所の取引記録よりも古い時代から輸入していたと言われるビールが多いのはそのためだ。その混とんとした輸入黎明期においてビールは秋の落ち葉のようにかき集められ、日本に送られていた。その中にはトラピストビールももちろん、含まれていた。

そして時が経ち、コーディネーターを介さずに、小西酒造でまとまった数を輸入することになったとき、また新たな問題に直面した。それは「契約」である。地球の裏側ともいえるほど遠い小国の会社に、自社のビールを輸出しようと喜んで契約してくれるブルワリーはそう多くない。また、輸入する権利を得るということは販売する義務を負うということでもある。「必ず売れます」と確約するのも難しい状況で、小西社長自身もあまり積極的にはなれなかった。しかし、オルヴァル修道院だけは最初からきちんと契約をしようと言ってくれたという。相手が誰であれ、誠実であろうとする姿勢は深く小西社長の心に刻まれたに違いない。

ヒューガルデン・ホワイトの輸入

ヒューガルデン・ホワイトを初めて飲んだときの味わいがもたらす衝撃は忘れられないと言う。酸味のある爽やかな味わいに新しい世界を感じ、この美味しさを日本で広めたい、という一心で輸入を決意した。

 しかし、商品名をどうするかで、社内が大騒ぎとなったという。ヒューガルデンのはスペルはHoegaarden。現地風に読むならば「フーハーデン」だ。日本人にはどうしてもそのスペルと音が結びつかない。ここは読みやすく親しみやすいイメージを作ろう、ということで英語読みの「ヒューガルデン」に決めた。そして、輸入開始。小西社長自ら店頭に立って試飲キャンペーンをするなど精力的に活動していた。小西酒造が輸入を開始して間もない1989年には醸造所がインターブリューに買収された。しかし、醸造設備が変更されたときに「味が変わった」と言う人もいたほど、ヒューガルデンが認知されたころ、インターブリュ―がアンベブと合併してインベブ(現在のアンハイザー・ブッシュ・インベブ社)となり、経営方針が大きく変わった。ほどなくして日本での販売権は小西酒造㈱からアサヒビール㈱へと移った。

瓢箪から駒

そのころにはベルギー国内でも日本におけるベルギービールの認知度が高まっていることが知られ始めていた。ヒューガルデンに替わるホワイトビールの輸入を考えていたところ、小西社長はデュベル・モルトガット社の「ヴェデット・エクストラ・ホワイト」の存在を知った。小西酒造では輸入開始当初からデュベルを取り扱っていたため、会社としての付き合いも長く、醸造に携わる人の責任感の強さや問題解決能力の高さも知っていた。中国のために造られたとされるヴェデット・エクストラホワイトを試飲すると、ヒューガルデンとは違う味わいがある。是非とも輸入したい、とデュベル・モルトガット醸造所に掛け合い、日本にも輸入されることが決定した。爽やかでスパイシーな味わいは、すぐに巷で評判となった。

後編はこちらから

ベルギービール小西酒造

※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。

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この記事を書いたひと

川端 ジェーン

ビアジャーナリスト

ベルギービールをこよなく愛しています。笑顔でビールを酌み交わせば世界平和は実現すると考えています。ビールが好きすぎてたまに他人と知人の境目がなくなってしまいます。ビールの美味しいお店で見ず知らずの人に話しかけていたら、それは私かもしれません。
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