猫は肝臓でアルコールを分解できません! 「吾輩」の酔い加減を読み解く
夏目漱石の小説『吾輩は猫である』(1905~1906年発表)。冒頭の2文は、あまりにも有名ですね。
吾輩は猫である。名前はまだない。
また、物語の最後、「吾輩」(主人公の猫)が飲み残しのビールを飲んで酔っ払い、誤って水がめに転落して亡くなるシーンも、ビアラバーにとっては酒場でのちょっとしたウンチクのネタだったりします。(*1)
(*1) 関連記事:「ビールのネタ帳(4)下戸で猫を死なせてしまった夏目漱石」
猫にアルコールは厳禁!
さて、この最後のシーンでの「吾輩」の酔い加減は、どの程度だったのでしょうか。
まず強調しておきたいのは、猫にアルコールは厳禁だということです。
猫の肝臓にはアルコールを分解する酵素がありません。(*2) このため、摂取したアルコールは、体内に長時間とどまり続け、中枢神経に影響を及ぼしてしまうのです。
(*2) ベネッセコーポレーション「ねこのきもちWEB MAGAZINE」より「【獣医師が解説】猫にアルコールが絶対NGの理由は、猫と人の肝臓の違い」
はたして血中アルコール濃度は
アルコールが毒だなんて、そんなことはつゆ知らず、「吾輩」はビールを飲んでしまいます。
コップが盆の上に三つ並んで、その二つに茶色の水が半分ほどたまっている。
(中略)
吾輩は我慢に我慢を重ねて、漸く一杯のビールを飲み干した時、妙な現象が起った。始めは舌がぴりぴりして、口中が外部から圧迫されるように苦しかったのが、飲むに従って漸く楽になって、一杯目を片付ける時分には別段骨も折れなくなった。もう大丈夫と二杯目は難なく遣付けた。ついでに盆の上にこぼれたのも拭うが如く腹内に収めた。
飲んだ量はコップ2個にそれぞれ半分ずつ、つまりコップ1杯分。180mLくらいでしょうか。
2歳のオス猫である「吾輩」の体重を4kgと仮定すれば、このビールの量は、人間(体重60kg)に換算すれば2.7L相当、つまり、ビール中びん5~6本分。これだけ飲めば、確かに酩酊しますね。血中アルコール濃度は0.16~0.30%、千鳥足になったり吐き気を催したりするレベルです。(*3)
そして「吾輩」は、千鳥足の状態で歩き回るうち、誤って水がめに転落し、死んでしまったわけです。
お酒の席での失敗にも大小いろいろありますが、命を失ってしまっては本当に取り返しがつきません。皆さんは、くれぐれも安全第一で、節度ある飲み方を心がけてくださいね。
(*3) 参考:公益社団法人アルコール健康医学協会「飲酒の基礎知識」
ラストシーンだけにこだわらず、ぜひ通読を
ところで、この物語のラスト5文、「吾輩」が水死するところを読んでみてください。
吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。
もともと堅苦しい文体で書かれているとはいえ、酔っ払いの大失敗にしてはずいぶんと芝居がかりすぎな、そして達観しすぎな言い回しだと思いませんか?
実は、この小説の随所で、近代文明に対する痛烈な批判が展開されています。
そして最終話(第11話)の前半では、近未来の文明下における生と死に関する、苦沙弥先生(『吾輩』の飼い主)の論説が繰り広げられます。
死ぬことは苦しい。しかし死ぬことができなければなお苦しい。神経衰弱の国民には生きている事が死よりも甚しき苦痛である。従って死を苦にする。死ぬのが厭だから苦にするのではない。どうして死ぬのが一番よかろうと心配するのである。
こういった流れを受けているからこそ、最後の1節は、上で引用したような達観した言葉になるのでしょう。
ラストシーンだけを聞いたときとは、ずいぶん印象が変わりますよね。
『吾輩は猫である』。造語も多く、独特の文体ですので読むのには少々骨が折れる一冊ですが、ぜひ、秋の夜長に、ビール片手に全11話を通読してみてください。
<書籍概要> 『吾輩は猫である』 著者:夏目 漱石 発売日:1990年4月16日 価格:本体700円+税 判型・ページ数:文庫判・564ページ 出版社:岩波書店 Amazon商品ページ |
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