「ビアジャーナリスト」という名称は
数日前、ふとみかけたツイート。
<ビールというものにジャーナリストという言い方はどうだろう?か>
正確な記述は覚えてないのですが、そのような内容で、
なるほどこれはいい投げ掛けだなと思いました。
●ビールぐらいのものにジャーナリズムがいるのか?
●だいたいジャンルとして狭過ぎないか?
というあたりがその発言の真意でしょうね。
その気持ち、まずはわかります。
僕自身は昨年秋に藤原さんと話して出たこの言葉を
自然に受け容れてきたので、あらためて自問自答して考えてみました。
そして自分なりの見解が見えたのでさっと書いてみようと思います。
僕自身が「ジャーナリスト専門学校」の2期生なもので、
この言葉はなんとなく気になるんです。
ちなみにその学校は昨年なくなってしまったんですがその話は→ココに
まずは参照用→ウィキペディアの「ジャーナリスト」
まず、ジャーナリストと聞いてぱっと思いつくジャンルは、
政治、経済、軍事問題、国際問題、人権問題などなど。
これメインっぽいオーソドックスな事柄以外では、
スポーツジャーナリスト、フォトジャーナリスト、ITジャーナリストとか。
キリがないので列挙しませんが、ググれば山ほど出てきますね。
僕が思う大事なことは、定義が重要なのではなく
<自分たちがどう意識を持っているか>だと思うのです。
極論するならば、ひとつのジャンルについて、
より正しい道へ人々の認識を導くためにメディアに対して
発信しようとする人であれば誰しも
「ジャーナリスト」を名乗っていいと思います。
そして現状発信できているかどうかはさておき、
そこを目指して少しでも実現させようと進んでいればいいのではないかと。
さらに<職業に貴賎ナシ>と言われるのと同じく
<ジャンルには貴賎ナシ>だとも考えます。
またそのジャンルの広い狭いも、線引きは不可能でしょう。
どんなに絞り込んだテリトリーでも、
自分の意識と納得があり、目標が定まってさえいれば、
ニーズは極小でも成り立つものとしたい。
たとえば、
マンガジャーナリズムはアリで
4コママンガジャーナリズムはナシ、とか。
フードジャーナリズムはアリで、
つけ麺ジャーナリズムはナシ、とか。
音楽ジャーナリズムはアリで
演歌ジャーナリズムはなし、とか。
そんなことはないのである、と言いたい。
ぱっと聞くと変だなあと思うかもしれませんが、
もし、4コマやラーメンや演歌に真摯に取り組み
そこに情報発信の意義を見いだす人が名乗っていれば
<ありえない>とは誰も決められないはず。
50年前ならばフードジャーナリストとかいう
呼称はなかったのではないでしょうか。
でもいまは違和感はありません。
「ビアジャーナリスト」という意識もそれと同じです。
今現在、日本の世間一般から見たら
<なんでビールなんてたかだか酒の一種ぐらいにジャーナリズムがいるのか>
という見方が大多数でしょう。
ちなみに、そのツイートしていた方もビールファンのようでしたので
ファンですらこう思う人もいるでしょう。
しかし、最初はごく少数の人が声を発することで、
軽んじられているジャンルが注目され、光りが当たり、
取り巻く環境が向上していくのです。
そのためには、そういう目標を念頭に置き、
<意識を高く持って発信していこう>という存在が必要だと感じています。
自分関連で言うと、盲導犬の世界は、
僕の書いた本がきっかけとなって業界に注目が向いたことで、
この10年間で見違えるほどいい環境になったと感じています。
また話は少し逸れますが、本人の意識の話。
僕は本を書いてますが自分で<作家>ではなく<著述家>と言っています。
僕の基準では<作家>は小説を書く人なので、
小説は書かないし書こうとも思わない僕は自分では違うわけです。
しかし、ビジネス書を1冊出して<作家>と言う人もいる。
放送作家は駆け出しでもみんな<作家です>と言います。
自分の意識や尺度でそうならば、それでなんら問題ないと考えます。
あれこれ考えたそのような理由から
僕は、「ビアジャーナリストという呼称はいいな」
という結論に達しました。
<ビールについて、正しく愉しめる方向へ少しでも多くの人を導いていきたい>
そう意識する私たちは、「ビアジャーナリスト」です。
ビールファンのみなさまにおかれましては、
長い目で見守っていただけますよう、よろしくお願いします。
とか言う話はめったにしませんので、まあ、飲みましょう!
※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。