たかがビール、されどビール
ビールにジャーナリズムなんていかがなものかという御意見に対して、私のほうからも意見を述べさせていただこう。本当にビールが「たかが」なのだろうか? その「領域が狭すぎる」のだろうか?
確かに、ビールに対して未だに「始めにちょっと飲む食前酒、スターター」と認識している人が多いようだ。
そんな人に言いたいのは「損してるよ」という一言である。
そーゆー私も15年前までは「損してる」一人だった。ビールはピルスナーしか知らずに「ビール好きです」なんて言っていた。それは、子供用のビニールプールに浸かり、泳ぎを悟ったと語るようなものだった。お恥ずかしい限りだ。
今、ビールの世界は競泳用の50mプールにもトライアスロンの3km遠泳コースでもとどまるものではない。広さの限りが見渡せないのだ。どこまでも続く大海である。そしてその深さは未知の深海と言ってもいい。
もし、ビールにジャーナリズムがいかがなものかという意見に対して百歩譲るとすれば、むしろ「狭い」ではなく「広すぎて網羅できるのか?」といったものである。突き詰めるとペールエールジャーナリスト、ヴァイツェンジャーナリスト、ベルジャンホワイトジャーナリスト…、麦芽ジャーナリスト、酵母ジャーナリスト、ホップジャーナリスト…、ビアグラスジャーナリスト、王冠ジャーナリスト、ビアTシャツジャーナリスト…、ビール販売ジャーナリスト、ビール酒場ジャーナリスト、ビール販売ジャーナリスト…などが生まれてもおかしくはない。
確かに、ビールはフランクな酒だ。肩肘張らずに楽しむ酒である。「たかがビール」と言われることはしょうがない。いや、むしろそれはビールの素晴らしい特性だ。誇らしい。「たかがビール」でおおいに結構だ。しかし、「たかがビール、されどビール」である。未だに「たかがビール」で止まっている人は不幸者だ。さぁ、早くこっちにおいでよ。
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