【連載ビール小説】タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗~⑭ 酒問屋の看板娘、異端児になる 其ノ壱
ビールという飲み物を通じ、歴史が、そして人の心が動く。これはお酒に魅せられ、お酒の力を信じた人たちのお話。
前回のおはなしはこちら
第一話はこちら
真上にあった太陽が、少しだけゆるんだ頃。
喜兵寿が満面の笑顔で店に戻ってきた。
手には大きな包みを抱えている。
「いやあ、いい鰹が入った!久兵衛さんはやっぱり目利きだな。一番鮮度のいいやつを残してくれていたよ。なお、見てくれ」
そういってなおを呼ぶと、ほくほくと鰹を取り出す。
まな板の上に乗った鰹は確かに立派だった。目は青々と澄んでおり、お腹はパンっと弾けんばかりだ。
「おお。こりゃあうまそうだな!」
なおが身を乗り出すと、喜兵寿はうんうんと何度もうなずいた。
「そうだろ、そうだろ。今が旬の初鰹だ。たっぷりの大根おろしとからし、あとは醤油をちょろっと。うまいぞ~!初物を食うと寿命が75日延びると言われていてな……」
喜兵寿は嬉しそうに話していたが、ハッと気づいたようになおの方に向き直った。
「そうだ!大麦はどうなった?!」
「ああ、そっちは問題なし」
なおは喜兵寿と連れて店の裏口から外へと出る。大麦は水の中で、気持ちよさそうにきらきらゆらゆらと揺れていた。
「このまま大体2日くらいかな。1日3回水を変えながら様子を見る感じ」
なおが説明すると、喜兵寿は「おお」と小さく感嘆の声をあげ、食い入るようにたらいの中を覗き込んだ。
「びいる造りの最初が麦を発芽させることとは、なんとまあおもしろい。
日本酒でいう米麹を造りに通ずるものがあるな。酒とは、どれも『生』の力を借りて生まれるものか……それで?この後はどのようにするんだ?」
「水にしばらく漬けた後、暗い場所に置いておくと発芽する。発芽したら乾燥させて、根っこをとってできあがり、って感じかな」
なおの説明からイメージを膨らませようとしているのだろう。喜兵寿は目をつぶって聞いていたが、「ふむ」と頷くといった。
「どんな出来上がりになるのか全く想像もできんが……心得た!できることがあればなんでもやるから言ってくれ」
びいる造りが楽しみで仕方がないのだろう。喜兵寿は切れ長の目を子どものように輝かせている。ビールが出来なきゃ殺される、なんてすっかり忘れてしまっているようだ。
「おれも手探りでやっているからな。最初からうまくいくかはわかんないけど、まあ一緒にがんばろうぜ」
なおが笑うと、喜兵寿も「うまいびいるを造ろう」とにやりと笑った。
まずは第一歩。
まだまだ解決しなければならない問題は山積みだが、ビール造りが始まるのだ。
喜兵寿のわくわくにつられ、なおも心躍るのを感じていた。
「それでな」
ひとしきり盛り上がった後、喜兵寿が袂から煙管を取り出しながらいった。
「びいる造りの件なんだが幸民先生に話を聞こうと思っていてな。なおは腕利きのびいる職人かもしれんが、この国のことはよく知らないだろう?だから明日にでも幸民先生の家のはどうだろうか」
「幸民先生?誰だそれ」
なおは眉をひそめると、喜兵寿は言った。
「名は川本幸民。蘭学者であり発明家の先生だよ。異国のことにも詳しいから、何かしらの助言はくれるはずだ」
川本幸民、川本幸民……どこかで聞いたことがある名前だ。ということはつまり歴史上の人物か?
なおはつたない記憶を辿ろうとしてみたが、なにぶん歴史はからっきしだった(体育以外、すべて苦手だったわけだけれども)。
そういえば隣のクラスの女子から借りた教科書に、盛大に落書きをして怒られたっけな……そんなどうでもいいことを思い出したところで考えるのをやめる。
「偉い先生だからって、ビールのこと知ってるかねえ」
自分の得意分野に関し、どこの誰だかわからない「先生」から助言をもらうのはなんだか癪だ。
そもそもなおは「先生」と呼ばれる人があまり好きではないのだ。
大体彼らは傲慢で、自分の自慢話ばかりする。
なおは吐き捨てるように言うと、喜兵寿は肩をすくめて苦笑した。
「さあな。でも幸民先生が西洋の酒の話をしていたのは事実だ。それがびいるのことを指しているかはわからないが、話を聞いてみる価値はあると俺は思う」
「ふうん……まあ別にいいけどさ。んで?その幸民先生ってのはどんな奴なわけ?」
なおが聞くと、喜兵寿は「そうだなあ」としばらく考えると言った。
「医師だったんだが、上司を斬りつけ怪我をさせて最近まで追放されてたな。でもその間に猛勉強して蘭学者になって戻ってきたらしい」
「ん?!」
予想もしなかった言葉に、なおは思わず変な声がでる。
「あとは火事で何回か焼け出されて、住居を転々としてる」
「んん?!」
「あとは、とにかく大酒飲みで、酒癖はだいぶ悪いな。よく川のほとりで草むらに頭を突っ込んで寝てる」
「いや、だいぶやばいな?!」
どうやらかなり変わった人物のようだ。
なおが「どんな先生だよ!」と突っ込むと、「お前も似たようなもんだろう!」と喜兵寿は豪快に笑った。
「なんにせよ、うちの大事な常連客だ。今日もこれから鰹食べに来るってよ。喧嘩っぱやい先生だからよ、飲みすぎて喧嘩にならないようにしろよ」
そういって煙管の火をつけに、店の中へと戻っていった。
―続く
※このお話は毎週水曜日21時に更新します!
※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。