【連載ビール小説】タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗~⑮ 酒問屋の看板娘、異端児になる 其ノ二
ビールという飲み物を通じ、歴史が、そして人の心が動く。これはお酒に魅せられ、お酒の力を信じた人たちのお話。
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『初鰹あり〼』
入口の貼り紙効果だろうか。
柳やは早い時間から大賑わいだった。
仕事帰りの体躯のいい男が、汗だくで店に入ってくるのだ。
店内は熱気でむんむんとしていた。
「つるちゃん、燗1本追加でちょうだい!」
「こっちには鰹3人前ね!」
つるは次々入る注文に対し、「あいよ」と威勢のいい声をあげ、店内をパタパタと走り回っている。
「よく働くなあ」
なおはそんな店内の様子を見ながら、ちびちびと熱燗を飲んでいた。
うだるような暑さだ、本当はビールをがぶ飲みたかったが、ないものはないのだから仕方がない。
「せめて常温の酒を出してくれないか」と喜兵寿に頼んでみたが、「柳屋は熱燗しか置いていない」ときっぱりと断られてしまった。
「おまちどう、鰹刺しあがったよ!」
威勢のいい声に顔をあげると、喜兵寿がたくさんの皿を持って厨房から出てきた。
赤色の切り身が色鮮やかに輝いており、店内からは「おお」という声があがる。
「さ、刺身は鮮度が命だ。うまいうちに食っちまってくれな」
そういいながら、各自に刺身を手渡していく。
なおも一皿受け取ると、早速刺身に箸をつけた。
分厚く切られた鰹は、見た目にも身が引き締まっているのがわかる。
刺身のつまに、こんもりと盛られた大根。
なおは刺身に大根を乗せると、醤油をつけて口に放り込んだ。
「……!!!」
それは想像していたよりも遥においしくて、咄嗟に言葉が出なかった。
ぶりぶりとした食感に程よい脂。
それを大根おろしの辛みが程よく流していく。
「どうだ、うまいだろ」
なおが夢中になって食べているのを見て、喜兵寿はにやにやと言った。
「鰹飲み込んだら、すぐに日本酒飲んでみな?」
なおは言われたとおりにおちょこを煽った。
口の中の旨味と日本酒の旨味がふわっと交じり合い、ゆっくりと喉の奥へと流れていった。後には酒の熱さとコクの余韻がじんわりと残る。
「なんだこれ!最高だな!!!」
なおが叫ぶと、喜兵寿は嬉しそうに言った。
「暑い日に熱燗も乙なもんだろう?」
「本当だな!初鰹に熱燗。こんなに客がくる理由もわかるわ」
なおが興奮しながら食べていると、店の引き戸がガラガラっと開いた。
見ると、小さくて痩せた男がむすっとした表情で立っている。
「あ、幸民先生。いらっしゃいませ」
幸民は喜兵寿の方をちらりと見ると、「酒、鰹」とだけ言って、よろよろと近くの座敷へと座った。
足があきらかにもつれているのだが、座った瞬間に背筋をしゃんと伸び、まっすぐに前を見る。
なおは喜兵寿の袂を引くと、耳打ちした。
「あれが噂の幸民先生か」
「そうだよ。さっきも言ったが喧嘩すんなよ」
吹けば折れてしまいそうな弱そうな男だ。
その気難しそうな風貌から、口喧嘩をすることはありえても、実際に殴り合いの喧嘩をするところは想像もできなかった。
「おれは平和主義なの。喧嘩なんかしないよ」
「……だといいんだが」
喜兵寿はそういいながら、盆に乗せた熱燗と鰹刺しを幸民のところへと運んで行った。
「今日つるはどうした?」
熱燗の入った徳利を受け取った幸民がいう。
「ああ、ちょっと裏で洗い物してるところです。もうすぐ戻ってくると思いますよ」
喜兵寿が答えると、幸民は無言のまま徳利に口をつけ、ぐびぐびと飲みだした。
大きく喉を3回鳴し、あっという間に徳利を空にしてしまう。
「酒 あと5本くらいもってきてくれ」
「でたーーーー!幸民先生の一口飲み!」
いつものことなのだろう。
圧巻の飲みっぷりに、周囲の男たちはわんやわんやと手を叩きながら盛り上がる。
「米屋が二階で居酒屋をはじめたのを知っているか?
今日はその店に北の方から酒が届くという噂を聞いてな。飲みに行ってきたんだが……まあひどいもんだったよ。
あいつらは日本酒のなんたるかを、まったくわかっちゃいない。
あんなもんは酒じゃないよ。酒に対する冒とくだ。ひどいもんを飲んじまった」
幸民はだれに話しかけるでもなく淡々と話し続け、酒が届けば眉間に皺を寄せたまま、一気に煽り続けた。
「でもな、酒に罪はないんだよ。
正確に言えば米と麹と酵母には罪はない。
彼らは自分たちのできることは最大限にやっているわけだからな。
問題なのは彼らの魅力を引き出すどころか、彼らの可能性を潰してしまった人間なわけだ」
(だいぶ変なおっさんだな……)
笑いを堪えながらなおが見ていると、5本目を飲み終えた幸民は、急に電源が落ちたように静かになった。
姿勢正しく畳に座ったまま、目を閉じている。
耳をすましてみれば、骨と皮のような身体を小さく揺らしながら、すうすうと気持ちよさそうに寝息を立てている。
「喧嘩っぱやいどころか、かわいいおっさんじゃん」
なおがにやにやしていると、厨房から洗い物を終えたつるが出てきた。
「あ、幸民先生いらっしゃい!」
つるの声が聞こえるやいなや、幸民は目をガッと開き、立ち上がり言った。
「おう、おまえら!まだ酒は飲めるか?!」
先ほどとは打って変わった雄々しい声だ。幸民の問いに対し、他の客たちは「うおおお」っと声をあげた。
「つるよ、ここにいる奴ら全員に燗酒を!好きなだけ飲ませてやってくれ。もちろんお代はわたし持ちでかまわん」
「出た!幸民先生の覚醒状態!」
「あざっす!」
「いただきます!!!」
「幸民先生、いつもご馳走さまです」
幸民の掛け声を予期していたように、喜兵寿が多量の徳利を盆にのせて厨房から出てきた。
「おう、喜兵寿。お前も飲めよ」
―続く
※このお話は毎週水曜日21時に更新します!
※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。