【連載ビール小説】タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗~⑱ 酒問屋の看板娘、異端児になる 其ノ伍
ビールという飲み物を通じ、歴史が、そして人の心が動く。これはお酒に魅せられ、お酒の力を信じた人たちのお話。
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一粒も麦を無駄にしないよう、たらいの中に手を突っ込んでいると「何か手伝おうか」とつるが店の中から顔を覗かせた。
「おう悪いな、じゃあこれを頼む」
なおはざるをつるにお願いすると、井戸で新しい水をたっぷりと汲み、たらいへと移した。
こんなにも暑いというのに、井戸水はキリっと冷たい。
そこへ麦を戻すと、ゆらゆら気持ちよさそうに沈んでいった。
それはどこか縁日を彷彿とさせるような光景で(金魚すくいとかスーパーボールすくいだとか)、そう思った瞬間にぐうっとお腹がなる。
なんだか無性に焼きそばが食べたかった。
青のりと紅ショウガがたっぷり乗っていて、麺だけがずっしりと詰まったソース焼きそば。
もしくは中がトロトロすぎて火傷しそうなたこ焼きでもいい。
屋台グルメを想像し、なおがお腹をぐうぐうと鳴らしていると、横でつるが笑いだした。
「どうやったらそんな音がでるわけ?」
「ああ、俺のお腹の叫び、聞こえちゃった?昨日ほぼ何も食べずに酒ばっか飲んでたから、腹がへっちまってさあ。つまみっていったら、最初に食べた鰹くらいか。ああ、あの鰹美味かったなあ。思い出したら、もっと腹が空いてきた」
そういって、さらに大きい音でお腹をぐうっと鳴らす。
「ちょ、すごい空腹じゃん」
つるが肩を震わせて笑うので、なおもつられておかしくなってきた。
「たしかに自己主張やばいな」
2人がたらいを前にしゃがんで笑っていると、誰かが目の前に立ったのだろう。
頭上に影がさっと降りた。
ふと顔をあげると、がたいのいい男がこちらを見下ろしている。
「つる、知り合いか?」
まだ笑いの余韻を引きずったままつるを見ると、つるは青ざめた顔で男を見上げていた。
見れば指先が小さく震えている。
「源蔵にいちゃん……なんで?」
にいちゃん?つるの言葉に再び男を見る。
きっちりと結われたちょんまげに、神経質そうな目。
着物をきっちりと着込んでいるにも関わらず、汗ひとつかいていなかった。
長髪をゆるっとひとつにまとめ、洒落た着崩しをしている喜兵寿とはどうみても正反対なタイプだった。
「おい、つる。お前一体なにをやっている?だから初めから喜兵寿と行かせることには反対だったんだ。いい年して恥ずかしいと思え!帰るぞ」
そう言うと、つるの手を無理やり掴む。
「ちょっと源蔵にいちゃん!やめて。まだ約束の日まで三か月はあるはずでしょ?」
つるは必死で振り払おうと抵抗していたが、その顔はどこか諦めたような、能面のような表情をしていた。
なんだかよくわからなけど、やばそうだな、そう思いなおは男の前に立ちふさがる。
「おい、嫌がってるだろ!やめろよ」
「俺はこいつの兄だ。お前はなんだ?知りもしないくせに、部外者が余計な口出しをするんじゃない!」
男がぎろりとなおを一瞥する。
たしかに部外者も部外者で、知らないことばかりだ。
何か事情があるようだが、この時代のことはわかないことばかりだし……
そんなことを考えているうちに、男はつるを引っ張ってずんずんと歩いていってしまった。
「この町はおかしな奴ばかりだな。さっさと伊丹で嫁にいけばいいものを、どうしてこんな町にこだわる必要がある?」
「……」
2人の姿は人の波に紛れ、すぐに見えなくなってしまった。
「うーん、どうすんだよこれ……そうだ!とりあえず喜兵寿だ。喜兵寿を探そう」
先ほどのつるの言葉を思い出し、朝市のほうへと駆け出す。
どこにいるかはわからないど、行けばとにかく会えるだろう。
なおは砂埃をまきあげながら、まずは昨日行った蕎麦屋へと行ってみることにした。
「別に腹が減ってるからとかじゃないけどな!そこに喜兵寿がいるかもだし、腹が減ってはなんとやらというしな!」
―続く
※このお話は毎週水曜日21時に更新します!
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