【連載ビール小説】タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗~㉒ 酒問屋の看板娘、異端児になる 其ノ玖
ビールという飲み物を通じ、歴史が、そして人の心が動く。これはお酒に魅せられ、お酒の力を信じた人たちのお話。
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造り酒屋「柳や」は兵庫県伊丹にある由緒正しき酒蔵。伊丹は酒造業が繁栄する地であり、いくつもの有名な酒蔵が軒を連ねている。その中でも「柳や」の酒の味は群を抜いており、「上納するのであれば柳やの酒」といわれる程に各地に名を広めていた。
そんな柳や十代目当主、庄蔵の子として喜兵寿とつるは生まれた。二人の上には8つ程年の離れた源蔵。蔵は祖父の文蔵と庄蔵、そしてたくさんの職人がいて、毎日大賑わいで酒造りをしていた。
文蔵は抜群に耳が良く、よく「酒の声を聞けば、飲まなくったって酒の味なんてわかるもんだ」と言っていた。庄蔵は抜群に目がよく、しばしば「酒の顔をよく見れば、いま何を欲しているかなんてわかるもんだ」と言っていた。
感覚の優れた天才親子。そんな二人が造る酒は圧倒的にうまくて、九代目、十代目の代にはさらに柳やの名声は広く響き渡ることになる。
だがそんな黄金期も長くは続かなかった。
庄蔵が流行り病によって死んでしまったのだ。息子であり、後継人を失った文蔵は深く悲しんだ。されども落ち込んでばかりもいられない。「柳やの酒を後世に残さねば」と、孫の源蔵と喜兵寿に酒造りを教えはじめた。しかしその数か月後。文蔵も流行り病にかかり、あっけなく死んでしまったのだ。
「ふたりが死んだのは、俺が6歳でつるが4歳の時だった。そこからはまだ14歳だった源にいが父親替わりをしてくれたんだよ。母親は気を病んでしまっていたから、酒蔵の立て直しや家のことなど源にいがすべてやってくれていてね。今思えば本当に大変なことだったと思う。
本当はたかだか14の子がそんな重荷を背負えるわけがないんだ。なのに源にいはそれをせざるを得なかった。父や祖父が生きていた頃の源にいは、もっと穏やかで明るい性格だったはずなんだ。朧げな記憶でしかないけれど、俺もつるもよく一緒に遊んでもらった」
なおは源蔵の神経質そうな目を思い出す。そうか、あれは生きてきた環境によるものだったのか。
「源にいが当主になってしばらくたった頃、下り酒が人気になった。俺はその酒を売るために上方で卸し酒屋をやることに決めたんだが、その時につるも一緒に来たんだ。2年だけ、という約束でね」
「2年?なんで2年だけなんだ?」
「本当はつるは縁談が決まっていたんだ。源にいが決めてきた縁談でね、妻を亡くした米屋の後妻だった。裕福な家だったから『つるが苦労なく暮らせるように』、という源にいなりの思いがあったんだろうけど……つるはそれを受け入れられなかった」
喜兵寿の言葉を受け、つるは堰を切ったように話し出した。
「そんなの絶対いやだった!だって会ったこともないおじさんと、いきなり縁談が決まったから、とか言うんだよ?そりゃあ源兄ちゃんには感謝してるよ、でもさ、でも……これからの人生、お前は旦那のために生きていけ、それが女の幸せだ。って言われて、本当目の前が真っ暗になった。
わたし本当は日本酒が造りたかったんだよ。でも女人禁制の世界に入れるわけはなくて、だから諦めて他になにか探したいと思っていたのに。どうしてわたしの人生を決められなきゃいけないんだろう、って」
唇を噛みしめるつるの背中を、夏がゆっくりとさする。
「それをきっちゃんに相談したら、じゃあ俺と一緒に行くかって言ってくれたの。絶対無理だろうと思ってたんだけど、お兄ちゃんが源兄ちゃんを説得してくれてね。縁談をなしにしてくれて、期間限定だけどこっちにも来れるようになった。
まあ、戻った後は源にいが決めた人と結婚しなきゃならないわけだけど……でもこの2年はわたしにとって本当に大事なものだった。
だから最後まで一日一日を大切にしたかったし、だからこそ約束の日の前に帰るなんて本当に嫌だった」
つるは話し終わると、涙を堪えるように上を向き、ふうっと息をついた。
「わたしこのお店が好きなんだよ。お兄ちゃんが作る料理も、つけるお酒も、ここに来る人たちも。どうしようもない飲んだくればっかりだけど、みんな本当にいい人たちでさ。
だから源兄ちゃんにこのお店のことを言われた時、ものすごく嫌だった。ここの何を知ってるんだって思った。あとお兄ちゃんはお酒を造れないわけじゃないのに……」
止まらない言葉を遮るように、喜兵寿はつるの背中をぽんぽんっと叩いた。
「つるにはいつも感謝している。一緒に来てくれなかったら、この店もこんなに繁盛してなかっただろう。ありがとうな」
―続く
※このお話は毎週水曜日21時に更新します!
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