[コラム]2023.11.8

【連載ビール小説】タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗~ 幕間|堅忍果決 前編

ビールという飲み物を通じ、歴史が、そして人の心が動く。これはお酒に魅せられ、お酒の力を信じた人たちのお話「タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗~」のサイドストーリー。
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小さい頃、酒蔵は大好きな場所だった。寒造りが始まると、喜兵寿とふたりでこっそり覗きに行ったことを思い出す。

真冬の早朝。まだ外は薄暗いというのに、蔵の中は熱気で満ちる。米を蒸す湯気の向こうに見える男たちの背中は力強く、そしてとても神聖だった。

祖父はよく、醸造過程の日本酒を味見をさせてくれた。出来立ての出麹の歯ざわり、酒母の驚くような甘さと酸味。

それを喜兵寿と秘密を分け合うように味わった。「変な味」「どろどろだな」そんなことをくすくす笑いながら。

そこから何年か経った頃。喜兵寿は大人たちがびっくりするようなことを言い出した。

「この酒に使われている米、いつもと違う田んぼのものじゃない?」とか、「これ、いつもと違う人がつくった麹じゃない?」とか。

事実それは当たっていて、祖父は驚いたように目を見開き、「きー坊はいい杜氏になるぞ」と喜兵寿の頭を撫でていた。

「きー坊は舌が抜群にいい。げん坊はそろばんがここいらで一番だ。酒ってのはな、ただうまく造りゃあいいってもんじゃねえんだ。金勘定や交渉もできなきゃなんにもなんねえ」

祖父はよく、自分たちにこう言っていた。

「お前たちは得意なことが違う。ふたりいりゃあ百人力だ。柳やを頼むぞ」

あの時喜兵寿は目を輝かせて「わかった!」と言っていたはずだ。「日本一の酒を造るよ!」とも。

しかしその数年後、喜兵寿は酒造りを辞めた。「自分は酒造りには向いていない」とか「他にやりたいことがある」とかいろいろな理由を並べて。

それから十数年。俺はこの酒蔵を守り続けている。

「十一代目、ご確認をお願いします」

源蔵は差し出された枡を手に取った。右腕である頭(かしら)の喜作は、にこにことした顔でこちらを見ている。

「味見なのだから、量は少しでいいと何度も言っているだろう?」

源蔵が眉をひそめると、喜作は「そうでした」と頭をかいた。

「今回の酒は自信作でして。今日はもう仕込みも終わりやし、十一代目にもたっぷり飲んでもらいたいなあ、思って用意させてもらいました」

源蔵は「そうか」と呟くと、並々と酒の入った枡に口を近づけた。香りを確認した後、ぐいっと一気に飲み干す。

「……うん、悪くない。これでいこう」

「さすが、いい飲みっぷり!十一代目の飲み方はほんま気持ちええ。ではこれでいかせてもらいます」

「では後は頼む。俺は部屋に戻って帳簿作業に移らせてもらうよ」

喜作が仕事に戻るのを確認すると、源蔵は蔵を出て家へと向かった。玄関をくぐると頭に手ぬぐいをした奉公人の梅に出会う。

「あら、おかえりなさいませ。もうすぐ夕餉が出来上がりますけど……お召し上がりはいつ頃になさいますか?」
「すまん、今日はまだ仕事をする必要がある。夕餉は置いておいてくれ」

「かしこまりました」

源蔵は真っすぐに部屋に向かうと、静かにふすまを閉めた。

そしてそのまま畳に倒れこんだ。

ぐにゃりと世界が揺れる。下は畳のはずなのにその固さは心もとなく、ぐるぐるゆっくりと下に落ちていくようだ。

源蔵は吐き気を催さないように、目を強くつぶった。数時間我慢すれば収まるものだとわかっていても、毎回この瞬間は絶望する。

――源蔵は酒を飲めなかった。

好きとか嫌いとかそういう話ではなく、少し口にするだけで目がまわってしてしまうのだ。
でも蔵を背負った杜氏ともあろうものが、酒を飲めないなんて言えるわけもない。

十一代目としての意地。顔に出ないことを幸いに、源蔵は酒が飲めないことを誰にも言ってはいなかった。

―続く

※このお話は毎週水曜日21時に更新します!

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※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。

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この記事を書いたひと

ルッぱらかなえ

ビアジャーナリスト

ビールに心臓を捧げよ!
お酒をこよなく愛する、さすらいのクラフトビールライター。
和樂webや雑誌「ビール王国」など様々な媒体での記事執筆の他、クラフトビール定期便オトモニでの銘柄選定、飲食店等へのビール提案などといった業務も行っています。
朝から晩まで頭の中はいつだってビールでいっぱい!

ビールの面白さをより多くの人に伝えるため、ビールをテーマにした小説「タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗」を連載中。小説内で出来上がる「江戸ビール」は、実際に醸造、販売予定なので、ぜひオンタイムで小説の世界を楽しんでいただきたいです!

その他、ビールタロット占い師としても活動中(けやきひろばビール祭り、ちばまるごとBEERRIDE等ビアフェスメイン)
占い内容と共に、開運ビアスタイルをお伝えしております。

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