小澤征爾を偲ぶ(西洋音楽とビールに通ずるもの)
小澤征爾という名は、クラシック音楽のファンではなくとも、聞いたことのない人はいないだろう。世界的な指揮者であり、その活躍は長きにわたり多くの人々の心に刻まれてきた。
学生時代からのクラシック音楽のファンである私は、日本人である小澤が世界のトップレベルで活躍を続けていることを誇らしく思い、2002年にウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任した時には、日本人がこのポジションに就いたという驚きと共に、心から嬉しく思った。クラシック音楽になじみのない方へわかりやすく例えるならば、大谷翔平がホームラン王とMVPを獲得したこと、いや、それ以上の出来事であったと、私は思う。
その小澤が、2024年2月6日に88歳で亡くなった。晩年は様々な病魔と闘いながら活動を続けており、ここ数年はほとんど公の場で見ることが無かったので、驚きというよりは、ああ、ついに、という感覚だった。我が国のクラシック音楽界の、ひとつの大きな転換点であるような気がした。
訃報に接した日の夜、自宅のCDの棚から、小澤の演奏を探してみた。数枚あった中で最もよく聴いたのが、この「マーラー交響曲第1番」である。彼が約30年にわたり音楽監督を務めた、アメリカのボストン交響楽団との録音である。
この演奏は、小澤とボストン交響楽団の名演奏の一つとしてよく挙げられる物だ。彼は勉強家として知られており、スコア(指揮者が使用する、オーケストラの全ての音が記されている楽譜)を徹底的に読み込むことで有名だった。その裏には、彼が生涯を通して何度も語った言葉がある。
「日本人である自分が、どこまで西洋音楽を理解できるか、表現できるか、挑戦したい」
この言葉を聞いて、ビールの世界に通ずるものがあるのではないかと私は感じた。今は世界的なコンテストで日本のビールが勝つことも珍しくなくなったが、元来は西洋の物であるビールに関して、わが国の状況はどうだろうか。音楽は演奏する者と聴く者がいて成り立ち、ビールは作り手と飲み手がいて成り立つ。小澤の演奏を聴きつつ、彼にゆかりのあるビールを飲みながら考えてみた。
サミエルアダムス ボストンラガー
ボストンに縁のあるビールとして真っ先に思いつくのが、「サミエルアダムス ボストンラガー」である。アメリカのクラフトビールのパイオニアとも言えるこのビール。日本人が世界のクラシック音楽界で活躍するための道を切り開いた、小澤の挑戦に通ずるではないか。
ビアスタイルは明記されていないが、濃いめの色合いとその味から「ウインナスタイル・ラガー」のようだ。マーラーは、オーストリアで主に活動していた作曲家である。ボストン交響楽団によるマーラーの交響曲を聴きながら飲むビールとして、これ以上にふさわしい物は無い。モルトの香ばしい風味を生かした深い味わいと、ラガーならではの爽快な喉越しは、重厚かつキレのある演奏にマッチする。
立飛麦酒醸造所 ピルスナー
もう一つ選んだビールは、「立飛麦酒醸造所 ピルスナー」。このブルワリーのある立川という街は、小澤が幼少期を過ごした場所である。2021年に開業したばかりのこのブルワリーだが、このビールは2023年のWORLD BEER AWARDSにおいて、チェコスタイルピルスナー部門で金賞を受賞したのである。
このビールはホップのクリアな苦みとボヘミアスタイルならではのモルトの香ばしさのバランスが素晴らしく、何杯でも飲みたくなる。原料の良さを最大限に引き出しているような印象だ。それは、オーケストラの力を最大限に引き出そうとする小澤の音楽づくりに似ていると思うのは、考えすぎだろうか。
さらに付け加えると、マーラーの生地は現在のチェコ、当時のボヘミア王国である。交響曲第1番の曲中にもボヘミア風のメロディーがある。時代も土地も違えども、色々なつながりを感じながら聴く音楽と味わうビール。面白いものだ。
西洋音楽とビール
小澤はクラシック音楽界において、間違いなく世界レベルで活躍したと言い切れる最初の日本人である。アメリカやヨーロッパでの活躍と同時に、日本のオーケストラにも少なからず関わり、日本の聴衆へ寄り添うことも忘れなかった。若い音楽家たちへの指導に献身的に取り組み続けたことも特筆される。「日本人による西洋音楽への挑戦」と言い続けた彼の生き方に通底するのは、挑戦者としての謙虚さであったように思う。
翻って、ビールのことを考える。コンテストで金賞を取ること、醸造所の数が増えること。素晴らしいことである。しかし、そこだけで喜んでいては、わが国のビール文化の発展は止まってしまう。消費者が、いつでもコンディションの整った美味しいビールを、多様な選択肢の中から、適正な価格で楽しめること。その状況にはまだ達していないように思う。
私はビールに関する情報を発信する者として、どうすればそのような状況に近づくことができるのか、謙虚に考え続けたい。まだまだドイツ、イギリス、アメリカなど、ビール先進国に学ぶものは多いはずだ。西洋の物に日本人が挑戦するという点において、クラシック音楽とビールに通ずるものがあるように思う。
小澤は、こんな言葉も残している。
「日本人の感性を生かした西洋音楽の演奏というのは、それなりに存在価値のあるものだと僕は思いたい」
参考文献
小澤征爾・村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』新潮文庫 2014年
※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。