【連載ビール小説】タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗~㊷ 樽廻船の女船長、商人の町へ 其ノ陸
ビールという飲み物を通じ、歴史が、そして人の心が動く。これはお酒に魅せられ、お酒の力を信じた人たちのお話。
※作中で出来上がるビールは、実際に醸造、販売する予定です
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「思い出のびいるというわけだな」
なおの話を聞きながら、喜兵寿は煙管の煙をゆっくりと吐き出す。いつの間にか空には白く細い三日月が浮かんでいた。
「それで、そのびいるの名はなんというんだ?」
「『山の宴』。いい名前だろ」
なおは「一口くれ」と喜兵寿の手から煙管を受けると、口に咥えた。煙草とは異なる、独特の芳香に目を細める。
なおにとって、「山の宴」はいろいろな意味で特別なビールだった。
この世界に来た日。なおは「山の宴」でべろべろになるまで祝杯をあげていた。インターナショナル・ビアカップ銀賞受賞。世界的なビールのコンペティションで、「山の宴」が賞を取ったのだ。
血が湧き、身体中の細胞がはじけ飛んでしまうのでは、という程に嬉しかった。実家に電話をし、夜がふけるまで同僚たちと何度も乾杯をした。
ビールだけを延々と。身体中にアルコールが染み渡ってきたかな?そう思った頃にはぐらりと意識を失い、眠りこけていた。そして気づいたら、わけのわからないこの地にいたというわけだ。
ビールを飲んでタイムスリップ。
そんな話は聞いたことがないが、思い返してみるとそうとしか思えない状況だった。
(あれ?ひょっとして俺のビールって、タイムスリップ効果があったりするのか?!)
なぜ今まで気づかなかったのだろう。突然のひらめきに、なおは全身に鳥肌が立つのを感じる。
(タイムスリップできるビール、だとしたら、世紀の発明じゃね!?俺天才じゃね!?)
なおは逸る気持ちを押さえ、喜兵寿にむかいあった。
「なあ喜兵寿……いま気づいたんだけど、俺はブルワーじゃなくてひょっとして発明家なのかもしれない」
「はあ?なんだ突然」
喜兵寿が怪訝そうな顔で、「びいるの話はどこに行った?」と首をひねる。
「落ち着いて聞いてくれよ。いや、落ち着くのは俺か」
「まずは落ち着こう」なおは大きく煙管の煙を肺に吸い込んだ。その瞬間、重く濃密な煙にゲホゲホとむせかえる。
「……なんだこれ!」
煙草とは全く異なる性質の煙。初めて煙草を吸った時のようにくらくらとする。目を白黒させるなおの様子を見て、喜兵寿は声をあげて笑った。
「煙管を思いっきり吸い込むやつがあるか。口の中で味わうくらいでいいんだよ」
喜兵寿はひょいっと煙管を取ると、ゆっくり細く吸い込んだ。口の端からゆらゆらと煙を上げながら、うまそうに目を細める。
「ひょっとして煙管は初めてか?」
「煙草って名前の似たようなもんは吸ってたけど……全然違うのな」
なおはべえっと舌を出すと、竹筒から水を流し込んだ。その様子を見ながら、喜兵寿は手元の煙管をくるくると回す。
「たばこか。なおの国とここではいろいろなものが異なるのだな。服も食も、考え方さえも全く違う。そして「びいる」なる酒!あのように跳ねる酒を造ることができる国があるとは、本当に驚きだった」
ビールを口にした時のことを思い出しているのだろう。喜兵寿はうっとりとした表情で夜空を見上げる。
「そのびいる造りに立ち会うことができるんだものな!一度は酒造りを諦めた身。まさかこのような機会が巡ってくるとは思わなかったよ」
3か月以内にビールを醸造しなければ命の危機があるというのに、喜兵寿の表情からは畏れや焦りなどは一切感じられない。そこにあるのは、ただただ未知なる酒に対する好奇心のみだった。
―続く
※このお話は毎週水曜日21時に更新します!
協力:ORYZAE BREWING
※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。