【連載ビール小説】タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗 55~樽廻船の女船長、商人の町へ 其ノ弐拾
ビールという飲み物を通じ、歴史が、そして人の心が動く。これはお酒に魅せられ、お酒の力を信じた人たちのお話。
※作中で出来上がるビールは、実際に醸造、販売する予定です
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増々強くなる雨風の中、酒樽や米俵を次々に海の中に投げ捨てる。それらは海にざぶりざぶりと浮かんだ後、すぐに大波にさらわれて見えなくなっていった。
「あっけないもんだな」
最初は顔を歪め、苦しそうだった男たちも、数十の積み荷が海に消えたあたりからその表情はなくなっていた。ただ黙って淡々と作業を行っていく。
一体いくらの損害になるのだろうか、ちらりと浮かんだ考えに喜兵寿は身震いをする。海の上を生活の糧にする以上、それなりの覚悟はしてきているのだろうが、実際に嵐に遭遇し、このような決断ができるねねの胆力に心底関心していた。
この嵐を切り抜けることが出来たとしても、その後も過酷な日々が続くことは容易に想像できる。金はどのようにして工面するつもりなのか、その身は大丈夫なのだろうか……にも関わらず、ねねは皆を鼓舞するように先頭に立ち、積み荷を海へと投げ捨てていた。
長い髪はすっかりほどけ、着物もぐっしょりと濡れている。それでもその目は真っすぐに前を見据えていて、神々しいほどに美しかった。
「海の女神、って感じだよな」
思っていたことが自分の耳から聞こえ、喜兵寿が驚いて振り返ると、なおがにやにやした顔でこちらを見ていた。
「こんな非常事態だってのに、うっとりした顔しちまってさぁ。あ、これって『リアルつり橋効果』ってやつか!」
「べ、別に見惚れてなんか……ってかお前こそこの非常事態に何をしている!?」
喜兵寿はなおを見て目を丸くした。打ち付ける大雨の中、なおは酒樽を抱えてがぶがぶと酒を飲んでいるのだ。
「いや、だってこれ海に捨てるんだろ?さすがにもったいないから、出来るだけ飲んどこうかなと思ってさ。それに酔っぱらっちまえば船酔いもなにもあったもんじゃないし、嵐も怖くなくなる!これぞ一石三鳥!」
喜兵寿はなおから黙って酒樽を取り上げると、そのまま海へと放り投げた。酒樽は日本酒をまき散らしながら海へと落ちると、すぐに波に飲み込まれていく。
「あああああ!俺の酒が!」
「死んでも酔っぱらっていて気づかなそうだなお前と違って、俺はまだ死にたくないんでね」
喜兵寿はなおの首根っこを掴むと、少しでも積み荷を減らすべく男たちの元へと向かった。
日は落ち、あたりは完全に真っ暗だった。時折ごろごろと不穏な音を立てる、分厚い黒雲。滝のような雨は肌に突き刺ささり、すでに目を開けていることすら難しかった。うねり狂う高波、下から突き上げるような突風。
誰がどう見ても最悪の自体だった。しかし誰一人として死ぬことを受け入れてはいなかった。
積み荷の量が減るごとに、船の速度は目に見えて上がっていた。押し寄せる大波にもまれながらも、ぐんぐんと進んでいく。
「風向きが変わったぞ!」
ねねの叫び声が聞こえる。
「追い風だ!追い風に変わった!天が味方してくれた!」
豪雨に負けないよう、声を枯らして叫ぶねねの声に男たちが歓声を上げる。
「海の神のご加護だ!さあ、ここからが勝負だよ!」
ごおおおおっという地鳴りのような音と共に、分厚い風が船を押し出す。油断すれば身体を持っていかれてしまいそうな程の強風。それは追い風と呼ぶには強すぎるものだった。帆柱が不吉な音を立て、舟板が剥がれ飛ぶ。
「船がいっちまうのが先か、港に着くのが先か……」
ねねは身体をぶるりと震わせると、目を見開き笑った。
「なんにせよ、天は進めと言っているわけだ。海の神様はさぞかし酒と米が気に入ってくださったようだねえ!」
荒々しい稲光があたりを照らす。
「さあ、あとちょっとだ!全員で帰るよ」
「うおおおおおおおお!」
切り裂くような雷鳴と共に、樽廻船が揺れる程の怒声があたりに響き渡った。
―続く
※このお話は毎週水曜日21時に更新します!
協力:ORYZAE BREWING
※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。