[コラム]2024.8.7

【連載ビール小説】タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗 58~樽廻船の女船長、商人の町へ 其ノ弐拾参

ビールという飲み物を通じ、歴史が、そして人の心が動く。これはお酒に魅せられ、お酒の力を信じた人たちのお話。
※作中で出来上がるビールは、実際に醸造、販売する予定です

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翌日。喜兵寿は朝日と共に動き出した。今日は鮑を口にすることができる、そう思うだけでどうにもそわそわと落ち着かない。手早く身支度を済ませると、一人朝市へと向かった。

生のわさびがあれば……そう思った市は思った以上に宝の山だった。美しい紅色の「松坂赤菜」やゴツゴツと大きな「伊勢いも」、ひょろりと長い細い「ずいき」。普段目にすることのない色鮮やかな野菜は、どれも瑞々しくおいしそうで、ついつい抱えきれないほど買い込んでしまった。

背負籠に食材を詰め込み、意気揚々と船に戻ると甲板でねねが煙管をふかしていた。

「喜兵寿じゃないか、朝餉も食べずにどこに行ってたんだい?」

こちらを見てにっこりと笑うその顔は、昨日よりも更にこけて見える。

「ちょっと朝市にな」

どさりと籠を降ろすと、喜兵寿はねねの横に座り、煙管に火をつけた。

暑さもピークを過ぎたのだろう。時折心地のよい風が吹き抜けていく。二人はしばらく黙って煙を吸っていたが、ふとねねがバタンと後ろに倒れた。

「あああああ、疲れた!まったくもって疲れたよ。普通は1月かかるところを数日で修理したんだ、ひょっとしたらわたしは船乗りよりも、船大工の才能の方があったのかもしれないね!」

目をつぶったまま、ねねは大きく手足を伸ばす。

「修理は終わったのか?」

「終わったよ。完璧だ。明日には出航できる」

ねねはそういって喜兵寿の方を向き、にやりと笑う。

「急いでなんとかって酒を造らなきゃ、2人とも死んじまうんだろ?」

徹夜でフラフラになりながら船を直していたねね。彼女は自分たちのためにこんなにも頑張ってくれていたのか……

「あ、勘違いしないでおくれよ。別にあんたたちのためだけじゃないからね。うちらも一刻も早く客先に向かわなきゃならないからね」

ねねは仰向けのまま器用に煙管を口に運ぶ。

「っていっても、積み荷のほとんどは海に沈んじまったわけなんだけどね。ああ、困った困った」

そういってねねはカラカラ笑っていたが、その瞳の奥はずっしりと重たい色をしていた。

「これから、どうするんだ?」

「そうさねえ。堺で吊し上げの刑にされるかもしれないねえ」

ぎょっとした喜兵寿を見て、ねねは再び笑う。

「冗談だよ。嵐の危険がついてまわる船には、積み荷の損害補償ってもんがあってね。もし嵐で積み荷を捨てなきゃならくなっちまった場合、その損害は荷主同士が公平に負担するんだよ」

「そうか、そういう制度があるのか!それなら今回の件も……」

「でもこの制度、荷物が捨てられちまった荷主も、捨てられなかった荷主も同じだけ金銭を負担しなきゃならない、ってやつでさ。とにかくものすごく揉めるんだよ。今回の積み荷は、堺の商人が絡んでいるだろう?こちらもたっぷりと銭を要求されるだろうね。本当に吊るしあげられたっておかしくないよ」

ねねは起き上がると、ぶるりと身体を震わせた。

「堺に着いたら、荷主を集めて会合を開かなきゃならない。本来なら港で積み荷を降ろしてお終いだけど、今回は堺の町まで行くとするよ。あ~あ、あの町騒がしくて本当は好きじゃないんだけどね」

青々と穏やかな海を見ながら、煙管をくゆらすねねを、喜兵寿は黙ってみていた。目は落ちくぼみ、髪は乱れ、ほんの数日の間に一回り小さくなったように見える。それでも身体の中には芯が1本通っており、凛とした佇まいだった。

「なあ、ねね。なぜそんなに仕事に人生をかけられる?」

喜兵寿が思ったままを口にすると、ねねは一瞬驚いたような表情を浮かべる。

「それはそっちも同じでしょう?柳やの喜兵寿といえば、酒に命捧げてるって巷では有名だよ」

ねねは笑った後、「そうだねえ、わたしが仕事をする理由かあ」と首を捻った。

「うーん……仕事をしてたら、ここで生きていてもいいって思えるからかな。自分の居場所があること程ありがたいことだよ。孤児だったわたしを引き取ってくれた、新川屋あのくそ親父には頭があがらないよ。まあ、あいつは今や頭さえ持ち上げられやしないけどね」

ねねの言葉が一瞬、氷のような冷たさを持つ。「それは一体……」喜兵寿がその意味を考える間もなく、後ろからなおの大きな声が響いた。

「お~い!喜兵寿、ねね!鮑のおっちゃん来てくれたぞ~」

見ると大きな籠を抱えた男が、こちらに向かって手を振っている。

「じめじめした話はこれで終わりだ!さ、明日の出航に備えてご馳走に与ろうじゃないか」

ねねはすくっと立ち上がると、「今行く」となおの方に向かって駆け出した。

―続く

※このお話は毎週水曜日21時に更新します!
協力:ORYZAE BREWING

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※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。

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この記事を書いたひと

ルッぱらかなえ

ビアジャーナリスト

ビールに心臓を捧げよ!
お酒をこよなく愛する、さすらいのクラフトビールライター。
和樂webや雑誌「ビール王国」など様々な媒体での記事執筆の他、クラフトビール定期便オトモニでの銘柄選定、飲食店等へのビール提案などといった業務も行っています。
朝から晩まで頭の中はいつだってビールでいっぱい!

ビールの面白さをより多くの人に伝えるため、ビールをテーマにした小説「タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗」を連載中。小説内で出来上がる「江戸ビール」は、実際に醸造、販売予定なので、ぜひオンタイムで小説の世界を楽しんでいただきたいです!

その他、ビールタロット占い師としても活動中(けやきひろばビール祭り、ちばまるごとBEERRIDE等ビアフェスメイン)
占い内容と共に、開運ビアスタイルをお伝えしております。

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