[コラム]2024.9.4

【連載ビール小説】タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗 62~樽廻船の女船長、商人の町へ 其ノ弐拾漆

ビールという飲み物を通じ、歴史が、そして人の心が動く。これはお酒に魅せられ、お酒の力を信じた人たちのお話。
※作中で出来上がるビールは、実際に醸造、販売する予定です

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「ねねと夏は知り合いだったのか!」

なおは出発前の柳やでのやりとりを思い出す。しかしあの時の夏は、喜兵寿が新川屋の船に乗ることを全力で反対していなかったか……?

「夏とわたしは古い仲でねぇ。親を亡くしたもの同士、山奥の寺で一緒に大きくなったわけさ。あの子は小さな時からそりゃあ綺麗な子だったよ」

酔っぱらっているのだろう。今日のねねはやけに饒舌だ。

「でも二人は『知り合い』って感じじゃなかっただろ?」

「そうだよ、そんなに仲がいいならなんでお互いそんなによそよそしいんだ?!」

訳が分からない、といった様子のなおと喜兵寿を見ながら、ねねはケタケタと笑った。

「女はね、いろいろ複雑なんだよ。わたしは夏を世界で一番愛している。だから夏を世の中すべてのものから守りたい。ただそれだけさ」

今でさえ船頭という立場も得て、対外的にも認められ始めているねねだったが、新川屋に養子に迎えられた時には本当にいろいろなことがあった。

「男」というものに忌々しい思い出しかなく、逃げ出すように山の寺にいたというのに、養子に入った新川屋でも結局同じようなことが起こった。

目の前が真っ暗になるような絶望と悲しみ。嘔吐し続けながら、ねねは世界を恨んだ。

それでも歯を食いしばってそこにとどまり続けたのは、数年後に夏も同じ町に来るということが決まっていたからだった。あの当時下の町で渦巻いていた、無数のどす黒い欲望の塊。ねねはどうしたってそこに夏を巻き込みたくはなかった。

だからどんな手を使っても夏の盾になろうと決めたのだ。自分自身が擦り切れようとも、後ろ指を刺さされようとも。自分がこの町に来た時に感じた、あの辛さを絶対に夏に味わわせたくはなかった。

ねねは町の権力者たちと肌を重ね、関係を作り、「今度麦湯にやってくる子には絶対に手を出さない」と誓わせた。少しでも必要を感じれば「色」を使って近づき、夏を守れる壁を増やしていった。

それもこれもすべては夏のため。夏がなんの心配もなく屈託のなく笑える環境を作っておくため。そのためならば自分は別にどうなろうと構わなかった。

だから夏が訪ねて来てくれたあの時、本当は叫び出したいくらいに嬉しかったのだ。駆け寄って力いっぱい抱きしめ、首元に思いっきり顔をうずめたかった。

しかしそれはできなかった。

以前と変わらない夏の顔を見た瞬間、自分がどれだけ汚れているかに気づいてしまったのだ。男たちの手垢がベタベタついたような身体で、美しい夏に触れることは到底できなかった。

すべては仕方がないこと。最初からわかっていたこと。夏が幸せなのであれば、それがわたしの幸せ。

ねねは何度も自分に言い聞かせるように呟き、布団に顔を突っ込んで泣いた。泣いて泣いて、泣き続けて、身体中の水分も、自分の気持ちもすべて吐き出した。

そこからねねは夏を避け続けている。影の立場として夏を守り続けると決めたのだ。でももちろんいつだって隠れて見守っているので、ねねの想い人も、今何をしているのかもすべて知っている。だからこそ、「びいるという酒を造りたいから、そのために堺まで同乗させてくれ」というわけのわからない、無茶な依頼も引き受けたのだ。

ねねは手元の徳利を引き寄せると、ごくごくと一気に飲み干した。

「夏を傷つけるようなことをしたら容赦はしないからね。特にあんた!喜兵寿!」

そういって、ぎろりと喜兵寿を睨みつける。

「わたしはねえ、あんたにずっと言いたいことがあったんだよ」

「え、俺……?」

急にスイッチの入った様子のねねに、喜兵寿はたじろぐ。

「あの子の想いを知っておいて、なんなんだ、あの態度は!あの子の華のような微笑みを無下にしやがって」

ねねは喜兵寿に詰め寄る。

「夏に『きっちゃ~ん』とか呼ばれてるの知ってんだぞ?!あの子は女神だぞ、女神。もっと喜べよ。ありがたがって土下座したっておかしくないだろ」

「いや、夏は別に俺のこと好きじゃないだろ……ってか、ねね、目が座ってるぞ」

「うるさい!酔っぱらってなんかない!わたしはただ、夏がどれだけかわいいかについて伝えたいだけだ」

「いや、ちょっと、そんなグイグイ来られたって困るんだが……おい、なお助けてくれ!」

逃げる喜兵寿に、襟首をつかもうとするねね。それを見てなおは爆笑していた。

「いやあ、賑やかでいいねえ。喜兵寿がすきな夏に、その夏を好きなねね。夏もねねもお互いに盛大にストーカーしてるっぽいし、江戸の恋愛は派手でいいねえ」

ぎゃあぎゃあと騒ぐ3人の声に、どこからか聞こえてくる酔っぱらいの舟歌、そして酔いつぶれて眠る男たちの大きないびき。避難港での最後の夜は賑やかに、ゆっくりと更けていったのであった。

―続く

※このお話は毎週水曜日21時に更新します!
協力:ORYZAE BREWING

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※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。

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この記事を書いたひと

ルッぱらかなえ

ビアジャーナリスト

ビールに心臓を捧げよ!
お酒をこよなく愛する、さすらいのクラフトビールライター。
和樂webや雑誌「ビール王国」など様々な媒体での記事執筆の他、クラフトビール定期便オトモニでの銘柄選定、飲食店等へのビール提案などといった業務も行っています。
朝から晩まで頭の中はいつだってビールでいっぱい!

ビールの面白さをより多くの人に伝えるため、ビールをテーマにした小説「タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗」を連載中。小説内で出来上がる「江戸ビール」は、実際に醸造、販売予定なので、ぜひオンタイムで小説の世界を楽しんでいただきたいです!

その他、ビールタロット占い師としても活動中(けやきひろばビール祭り、ちばまるごとBEERRIDE等ビアフェスメイン)
占い内容と共に、開運ビアスタイルをお伝えしております。

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