【連載ビール小説】タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗 69~クーデレ豪商の憂鬱と啤酒花 其ノ参
ビールという飲み物を通じ、歴史が、そして人の心が動く。これはお酒に魅せられ、お酒の力を信じた人たちのお話。
※作中で出来上がるビールは、実際に醸造、販売する予定です
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身分の高い人物というのは、見た目はもちろんのこと、醸し出す雰囲気でわかるものだ。初老の男は姿勢正しく長椅子に腰掛け、まっすぐに前を見つめたまま酒を飲んでいた。着物のことはよくわからないなおでさえ、その羽織が高価なものであるとわかる。
身にまとう空気が張りつめているというか、ずっしりと重いというか……とにかく「気軽に話しかけてはならない」という雰囲気がビンビンにしていた。
が、そこは空気を読まないことを得意とするなおだ。1人寡黙に飲んでいる男に向かって、「こんちわ~」と突っ込んでいった。
「お楽しみ中、すみませんね。ちょっとここいらのことで聞きたいことがあって」
なおがにこにこと話しかけるも、男はちらりとこちらを見ただけで、また視線を元に戻してしまった。
「あ、自己紹介を先にすべきでした。自分は久我山なおと言います。ビール……えっと、酒の一種をつくる仕事をしていて。それでその酒を造るための材料を探していて」
なおは男の右左を行ったり来たりしながら話しかけ続ける。
「ま、そんなことお兄さんには関係ないっすよね。ところで今なんの酒飲んでるんすか?俺らも今から一杯飲もうと思ってて。オススメとかあったら教えてほしいなって」
「……」
しかし男は黙ったままだ。しまいには眉をひそめたまま、目をつぶってしまった。どんなに話しかけてもまるで自分が存在しないかのような扱い。さすがのなおも心が折れ、すごすごと喜兵寿の元へと戻った。
「きへいじゅー。あのおっさんめっちゃ無視するんだけど」
しかし喜兵寿はと言えば、手元に届いた日本酒に夢中になっていた。
「これは俺の知っている酒とは全く異なる味わいだ……この数年の主流は辛口だったが、これは時代が動くかもしれない!小さい酒蔵がここまでの酒を醸しているとは……嗚呼、西の方にもっと目を向ける必要があった」
よほど美味いのだろう。酒に向かって一人でぶつぶつと話し続けている。
「なんだよ!喜兵寿まで無視すんなって。まったく真剣にやってるの俺だけかよ」
なおは喜兵寿の手元から徳利を奪い取ると、ごくごくと喉に流し込んだ。少し熱めのそれは、口の中を経由する瞬間に、大きく美しい花を咲かせた。香りがとにかく強く、それでいて繊細。雑味などは一切なく、フルーティで華やかな印象をきれいに残したまま身体に染み込んでくる。
「やば!!!なんだこれ。めちゃくちゃ美味いんだけど!」
なおが思わず叫ぶと、喜兵寿も満面の笑みで立ち上がった。
「だろ!すごいよな!」
「なんか、こうぶわあああっと絵が浮かぶような味わいだな!あのさ、ビールってスタイルによって香りの立ち方、というか香りの印象が全然違うんだけど、時々「絵が見える」ビールってあるんだよ。それをすっごい思い出した」
「なんだ、その興味深い話は!もっと詳しく話してくれ。親父、同じのあと2合追加で!」
うまい酒と言うのは一瞬にして人を虜にするものだ。喜兵寿となおは「情報収集をする」という目的をすっかり忘れ、美酒の快楽に溺れた。というか自ら溺れにいった。
酒をつまみに酒を飲む。目の前の日本酒を讃え、親父からこの酒についての歴史やこだわりを聞く。「うまい酒との出会い」を灯りにした時間というものは、とにかくすべてを後にまわしたとしても2人にとって大切なものだった。
―続く
※このお話は毎週水曜日21時に更新します!
協力:ORYZAE BREWING
※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。